皇位継承における「伝統」を問う | マッチョメ~ンのブログ

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2024年、国連の女性差別撤廃委員会が、皇位継承を男系男子に限定する日本の皇室典範の改正を勧告した。これに対し日本政府は、現在の制度は歴史的伝統と国民の支持に基づくものであり、委員会が扱うには不適切な問題だと反論した。

しかし、この「男系男子継承」という制度は、果たして古来からの伝統なのだろうか。実際には、この制度が確立されたのは明治時代であり、それ以前の長い歴史とは断絶がある。むしろ、当時の女性に対する差別的な価値観が色濃く反映された結果、制度化されたという側面が強い。

明治以前、約1200年の長きにわたり、女性天皇は存在し、天皇の子は性別を問わず皇位継承の資格があると見なされていた。皇統を男系男子に限定するという取り決めは、今からわずか136年前に定められたに過ぎない。

歴史を振り返れば、1882年(明治15年)に女性天皇の是非を巡る議論があった。その中心人物であった島田三郎は、家父長制的な見方が根強い日本では、国民が女性天皇を男性天皇ほどには尊敬せず、皇室の尊厳が損なわれると主張し、女性天皇の存在に反対した。この意見に対しては、倫理的な観点を無視して旧習を維持することへの批判も存在した。

驚くべきことに、当時島田が展開した論理の多くは、現代の男系男子継承を支持する人々の主張と酷似している。そもそも、「男系」「女系」といった概念自体が、明治時代に創出されたものである。

1889年(明治22年)の皇室典範で皇位継承が男系男子に限定された背景には、伊藤博文の補佐官であり、強い家父長制的思想を持っていた井上毅の大きな影響があった。当時、国民の間では女性天皇を容認する声も少なくなかったにもかかわらず、この決定は明治政府内の一部の人間によって、閉ざされた議論の中で下されたのである。

今日、私たちが「伝統」と見なしているものは、実は136年前の政治的決断の結果に他ならない。世論調査では国民の約9割が女性天皇を支持しており、国民の意識は大きく変化している。

かつて美智子上皇后は、「伝統」という言葉が安易に使われることに警鐘を鳴らし、ある伝統が社会の進歩を妨げたり、人々に苦しみを与えたりすることもあると述べた。皇位継承の問題を考える上で、この言葉の重みを今一度、噛みしめる必要があるだろう。