現代性と安定性の要請
「愛子天皇」を支持する議論の最後の柱は、皇室が21世紀の日本社会において存続し、国民の敬愛を集め続けるために不可欠な、二つの要請―「現代的価値観との整合性」と「制度の持続可能性」―に基づいている。この視点は、現行制度が内包する時代錯誤性と構造的欠陥を鋭く突き、代替案として提示される「旧宮家復帰案」の非現実性を徹底的に論破することで、愛子内親王の即位こそが唯一の現実的かつ合理的な解決策であると結論づける。
ジェンダー平等と国際標準
男系男子にのみ皇位継承資格を限定する現行の皇室典範第1条は、双系論者たちから、現代社会の普遍的価値観であるジェンダー平等と根本的に相容れない、時代錯誤なルールであると断じられる。日本国憲法が保障する法の下の平等や、社会のあらゆる分野で女性の活躍が推進される現代において、国家の象徴たる地位が「女性である」というだけの理由で閉ざされている事実は、著しい不均衡を生んでいると指摘される。
この問題は、国内に留まらず、国際社会からも注視されている。国連の女性差別撤廃委員会などが、日本の皇位継承制度が女性への差別にあたるとして、法改正を求める勧告を出している事実は、この問題が日本の国際的な評価にも関わる人権問題としての側面を持つことを示している。ヨーロッパの多くの君主国が、男女を問わず長子を優先する継承制度へと既に移行していることとも対比され、日本の制度の特異性と遅れが強調される。国民統合の象徴が、国民の半数を構成する女性を原理的に排除するルールに基づいていることは、その象徴としての役割を十全に果たす上で、深刻な障害になりかねない、というのが彼らの懸念である。
自ら招いた継承の危機
双系論者は、現在の皇位継承危機が、天災や不運によってもたらされたのではなく、現行の「男系男子限定」というルールそのものによって引き起こされた「人災」であると明確に指摘する。前述の通り、側室制度という、いわば継承者確保のための「供給源」を失ったにもかかわらず、男子のみに限定するという「需要」のルールを維持し続けた結果、制度が数学的に破綻するのは自明の理であった。
秋篠宮家に悠仁親王が誕生したことで、この問題は一時的に先送りされたかのように見える。しかし、双系論者たちは、これを根本的な解決ではなく、単なる一時的な猶予に過ぎないと断じる。なぜなら、悠仁親王の次世代において、再び同じ構造的な問題―すなわち、男子が生まれなければ皇統が途絶えるという危機―に直面することは避けられないからだ。問題を次世代に丸投げするのではなく、現在の世代で、持続可能な制度へと転換する責任があると彼らは訴える。この観点から、女性天皇、そしてその先にある女系天皇への道を開くことこそが、この自ら招いた危機から脱するための、唯一の根本的な治療法だと位置づけられる。
旧宮家復帰案への包括的批判
男系男子継承を維持するための代替案として、一部の保守派から根強く主張されているのが、1947年(昭和22年)に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子孫を皇族として復帰させる、あるいは養子に迎えるという案である。しかし、「愛子天皇」支持論者たちは、この案を**「荒唐無稽なウルトラC」**と一蹴し、現実的、憲法的、倫理的な観点から、その問題点を徹底的に批判する。
第一に、憲法上の深刻な疑義が指摘される。特定の家系の出身であるという理由だけで、一民間人を皇族という特別な身分に引き上げることは、憲法第14条が禁じる**「門地による差別」**に抵触する可能性が極めて高い。国民は法の下に平等であるという大原則を、皇位継承の維持という目的のために歪めることは、立憲主義の根幹を揺るがす行為であると批判される。
第二に、正統性と国民の受容の問題がある。生涯を民間人として過ごしてきた人物が、ある日突然、皇位継承者となったとしても、国民の敬愛を集める象徴として機能することは極めて困難だ。皇族には、幼少期から培われる特殊な教育、いわゆる「帝王学」や、公人としての立ち居振る舞いが求められる。そうした素養を全く持たない人物を「血」という一点のみを理由に皇室に迎えることは、国民の間に深刻な違和感と不信感を生むだろう。
第三に、基本的人権の侵害という倫理的問題が挙げられる。この案は、旧宮家の子孫とされる個人の意思を無視した「謀略」であり、彼らの職業選択の自由やプライバシーといった基本的人権を侵害する危険性をはらむ。さらに、その新たな皇族の正統性を補強するために、愛子内親王をはじめとする女性皇族との「政略結婚」が画策される可能性も指摘されており、これは女性皇族の人権を著しく踏みにじるものだと非難される。
最終的に、高森氏のような論者は、このような人為的で不自然な方法で皇統を維持しようとすることは、むしろ皇室が長年培ってきた「尊厳」や「聖域性」を著しく損なう、最も避けるべき選択肢であると結論づける。
この旧宮家案への徹底的な批判は、国民と政治に対して、二者択一を迫る効果を持つ。すなわち、選択肢は、「有機的な継続」か「人為的な急造」か、という問いである。一方は、天皇の直系の子であり、国民に親しまれ、その成長を見守られてきた愛子内親王が、歴史的先例に則って即位するという、自然でリスクの低い道である。もう一方は、血縁も遠く、国民には全く馴染みのない一民間人を、憲法上の疑義や人権問題を抱えながら無理やり後継者に仕立て上げるという、前例のない、極めてリスクの高い実験である。愛子天皇を支持する論者たちは、この対比を鮮明にすることで、双系こそが皇室の安定と尊厳を守るための、最も穏当で保守的な道であるということを強く印象づけている。 〈続く〉