かなり久しぶりに甲子園を見ました。
僕の地元石川県の星稜高校の試合。
激闘の中、星稜の勝利で嬉しかったな。
僕も野球をしてたけど、そんな時代があったなと思い出しました。
中学生の時は練習がきつすぎて野球が嫌いだった。
でも、いろんなものをもらってて、今の自分に役立ってることだけは確かです。
僕の野球の唯一の自慢は、当時全国大会で二連覇してた星稜中学に勝ったこと。
僕もその試合でツーベースを打てて、あの時打ったボールの放物線は今でも覚えてます。
でも、果敢に三塁を狙ってアウトになったことが、オチとしてありますが(笑)
ちなみにその星陵中のピッチャーは、その後甲子園でも準優勝し、横浜ベイスターズの開幕投手まで掴んでて、僕にとって憧れの人となりました。
あと、もうひとつ思い出したのは、最後の大会、地区大会決勝で延長まで進み、その時に、三塁一塁で1打逆転のチャンスでまさかの自分に打席が回ってきた時のことです。
あれは、鮮明に覚えてます。
僕は打席に立ち、監督を見るとスクイズのサインじゃないのに、自分はスクイズのサインだと勘違いしてしまいました。
でも、たまたまそれがファールになり、タイムをかけた監督の小島先生は僕をベンチに呼び、首根っこ捕まれ、落ち着けと言われたました。
そして、再度打席に向かう自分はそれでも精神状態はびびってました。
実はうちの中学は、学校が出来て一度も地区大会で優勝したことがないという中学でした。
どんなに強いチームを作っても優勝できなかった。
そんな因縁めいた話をずっと聞かされてた僕は、50年近くも優勝したことがない学校の歴史をまさか自分のこの1打で作らなければいけないんだと思い、さらにプレッシャーに感じてたのです。
そして、深呼吸をして落ち着こうと、ふと周りを見ると、初優勝するかもしれないうちのチームの応援に、学校中の人や地元の人たちや親たちがびっくりするぐらい駆けつけてました。
それをみた僕は、さらに震えながら、打席に立ち、ピッチャーをみて、とりあえず投げてきた球を力一杯振り抜きました。
するとぼくの打った打球は一塁の頭を超え、ヒットとなり、決勝点となったのです。
沸き上がる観客たちや、チームのメンバー。
そのあと、みんなで胴上げをしたことは、一生忘れない思い出です。
監督の小島先生には、感謝ですね。
先生は中学の担任でもあるし、高校時代も運良く、僕の高校の監督もしてくれてました。
そんな小島先生とは今でも連絡を取り合ってて、いろんな話を聞いたり、励ましてもらえたり、能登での映画の時もすごく協力してくれてて。
そんな小島先生も今年で定年を迎えると、この前聞きました。
寂しい気持ちと共に時間は流れるんだなと感じました。
小島先生、本当にご苦労様でした。
相当の数の教え子がいるのに、それでも僕にいつも励ましや、希望をくれてありがとうございました。
先生、まだ、僕は甲子園を目指してます(笑)
