西武ライオンズタイムマシーン(第393回):1980年 スティーブ・オンティベロス | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【1980年のスティーブ】
西武在籍:1年目(29歳)、※米大リーグ・カブスから移籍、背番号10
打撃成績:65試合、258打数81安打、打率.314、16本塁打、50打点、3盗塁

 

1980年6月25日に西武への入団が電撃発表された。
メジャーでは8年間で通算600安打、24本塁打の実績を残しており、現役大リーガーとして契約は3年、推定年俸6千万円という当時としては破格の厚遇であった。
6月21日の試合までシカゴ・カブスの一員として試合に出場しており、ブランクが全く無い状態での来日だった。
7月1日に来日すると早速、7月4日後期開幕戦でもある対近鉄後期1回戦に来日初出場。
3番・三塁手として先発出場も近鉄のエース鈴木啓示の前に無安打、2三振に終わった。
翌7月5日対近鉄後期2回戦(西武球場)の1回裏の第一打席で村田辰美から来日初安打を記録。この試合では3安打の猛打賞の活躍だった。
7月13日対阪急後期2回戦(西宮球場)で、3回表に関口朋幸から来日初本塁打を記録した。
8月6日対近鉄戦では、延長10回表に決勝本塁打を放ち勝利に貢献するなど勝負強さも見せた。
9月に入ると4日対阪急戦で2本塁打を放ちチームも勝利し首位を奪還。
翌5日には2試合連続となる10号本塁打を放ち、7日対日本ハム戦では、既に18勝をあげていた新人・木田勇から1回裏に3ラン本塁打の先制パンチを浴びせ2回でKOさせた。
来日直後から日本の投手に対応し、シーズン終了まで打率は常に3割をキープし、打率.314、16本塁打、50打点の好成績を残した。
スティーブの加入で後期は西武打線も活発になり、球団発足2年目にして初の首位に立つなど終盤まで優勝争いを演じた。

 

【1980年名場面】

1980年9月4日 ○西武5-4阪急●
スティーブ選手、大リーガーの威力をまざまざと見せつける

首位奪還を賭けた試合を決定したのはスティーブ選手の2本のホームラン。
8号、9号の連続本塁打で延長戦を制しライオンズが首位を奪還した。
豪快な当たりは元大リーガーの貫禄十分。
(西宮球場:観衆1万4千5百人)