西武ライオンズタイムマシーン(第360回):1980年 大川浩 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1980年西武ファンブックより)

大洋から移籍してきて、パ・リーグの打者を相手に投げるのは初めて。
自分の持っている力を全部出し尽くす、と張り切っている。
左腕投手が少ないので、登板回数も多くなることは必至。
味のあるピッチングを披露してほしい。

 

【1980年の大川浩】
西武在籍:1年目(24歳)、※大洋から移籍、背番号48
投手成績:25試合 0勝 1敗 0セーブ、投球イニング32回1/3、自責点15、 防御率4.22

 

(イースタンリーグ成績)
投手成績:2試合 0勝 0敗 0セーブ、投球イニング3回、自責点2、防御率6.00
打撃成績:2試合 0打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

1974年ドラフト3位で大洋に入団。
1977年プロ初勝利を記録
1978年自己最多の40試合に登板。8月30日対巨人戦で王貞治に通算800号本塁打を打たれている。

1979年オフに池田弘との交換トレードで大洋から西武へ移籍。
西武移籍1年目の1980年は、4月10日対南海戦で移籍後初登板。
2イニングを投げ無安打に抑え、3奪三振を奪った。
5月12日対近鉄戦で移籍後初先発するも、初回から失点し3回途中、自責点4で降板。
終盤チームが逆転し黒星は逃れた。
5月18日対南海戦で2度目の先発登板をしたが結果を残せず、再び中継ぎへと戻された。
6月27日南海とのダブルヘッダー第2試合で、4-4の同点で迎えた6回から2番手として登板。
いきなり勝ち越し点を許しそのまま敗戦投手となり移籍後初黒星を喫した。
その後は、9月上旬まで中継ぎで起用され続け、西武移籍1年目は最終的に19試合に登板した。


【1980年当時の記事写真とコメント】

貴重な左腕投手として先発に抑えに八面六ぴの活躍
大きなカーブとストレートが身上のピッチング。
ピンチに動じない性格は頼もしい。
左投手の利点を有効に使えば、登板のチャンスも増えそうだ。
移籍選手で期待が持てる選手。