神について、人類学的にその存在を検証してみたいと思います。
あらゆる可能性を考慮したうえで神の存在および実体を検証したいと思いますので、
ありえないと思われるような仮説を取り入れながら、書いていきます。
さて、人類が、猿人、原人~そしてホモサピエンスと進化する中で、もし単独行動を
する生活をし、群れとしての行動形態を持たず、パートナーを見つけ、子供が生ま
れ、その子供が巣立つと、あとは離れ離れになるいわゆるトラなどと同じ行動をして
いたとしたら、人類は神という存在に気づいたでしょうか?
答えは 肯定と否定のどちらもある可能性は否めませんが、少なくとも神の存在は
人類には必要なかったのではないでしょうか。
もちろんそのような人類には、文化、言語、経済、行政などを包括した文明というもの
は生まれなかったでしょう。
文明がなければ 今日の人間社会はありえません。
では、想像してみましょう。
人類が文明社会を形成せず、トラと同じ生活をし、野山を駆け回っている状態を・・・
意思疎通を図るための言語を持たず、互いのものを交換する経済活動もせず、芸術
もない世界を・・・
そこに神は存在しえません。
つまり、ここで言う神の存在とは人間の心の中に共有する存在としての神のことです。
では、心に共有する神とは何でしょうか?
さて、現実には人類はくしくも文明社会を手に入れました。
群れをつくり、村を作り、大規模集権体制までをも作り上げてきました。
これらはいずれエジプト、メソポタミア、インダス、黄河という文明社会を生み出し、
そこにはあらゆる文化が花咲き、言語が発達し、経済、行政、という概念をも
生み出して行きました。
これらの集権体制の多くは君主による統治という形がほとんどでした。
そして、これらの権力のほとんどが武力を使った争いによって勝ち得た者に集中
していったのです。
これらの統治は君主の死によってその体制が変えられ、社会の平穏な体制維持に
影響を与えていったのです。
ひとつの文明社会の中では、そこに住む人民が共通する概念であったり、共通
する人生観であったり世界観を共有する必要があるのです。
また、共有できるからこそコミュニティの一員として生活が出来るのです。
そのコミュニティの中に生まれた共通認識としての文化の一つに宗教観がありま
した。
これが心に共有する神の存在です。
またまた、では何故共有する神の存在が必要だったのでしょうか。
アニミズムが示すような多神教的な神の存在であれ、キリスト教、ユダヤ教、
イスラム教などがその存在を信ずる一神教の神であったとしても、人間に対する
その存在意義は何であったのでしょう?