自由にものが言える、書ける、てえのはきわめて大事だ。が、当局による監視は息苦しく、ましてコバヤシタキジみてえに拷問されて死ぬのはやだしな。まったく、拷問はいてえよ。権力を持った暴力団は何をやるかわからねえ。つめの一枚一枚はがされる様を想像してみなよ。こんな時代を生き抜くのはそれ相応の知恵が必要だろうが、拷問を回避するために信念を曲げる、これはこれで、残りの人生へのダメージは大きいぜ。良心のあるやつなら一生自分を責めるだろうしな。言葉も思考も以前より歯切れが悪くなる。つまり、精神的には死に体だ。かといって信念を曲げずに殉死するような気概をもってるのかよ。こんな文章も監視されてるのかよ?
おれがいま知りてえのは、この闇を生き抜く知恵だ。もちろん、次の選挙で自民党をおとしゃいいんだ。だが簡単なことではないぜ。
正直、安部の暴走を抑えるのは、アメリカしかないってえ、情けない現実。おいおい、ちょっとやりすぎなんじゃないの、というニューヨークタイムズさんにがんばっていただきましょう、みたいな情けなさ。小泉の脱原発に救いを求めるみてえな情けなさだ。たとえばなんで、共産党が吉永小百合でも藤原紀香でも党首にして、すごみと影響力のある脱原発宣言をぶちまさないのかねえ?
それにしても、猪瀬の5千万なんてどうでもいいニュースでのすきに秘密保護法案も成立か。あるいはあしたあたり、木村拓也がたちしょんべんでつかまる、とかどうでもいいニュースで大騒ぎになるんじゃないか。つまり重要なニュースを隠すためにな。
たとえば、一部のネットでながされている、総理大臣はじめ与党有力政治家の出自についても、秘密にされるのかね。日本の権力構造そのものが反日マイノリティー集団にのっとられている、という仮説は、まかりまちがえりゃ、いや、間違えてる人間のほうが圧倒的に多いだろうが、あからさまな民族差別をまきちらしかねない劇薬だ。だが、仮説としては十分吟味する価値がある。具体的には自民党清和会(阿部も小泉もこの一派だ)と統一教会がなんでつるんでるのかてことだ。
なんでなんだ?