以下の文章は2003年、イラク戦争真っ只中に書かれたものだ。ずいぶん前のことだが、しかし言うべきことは尽きている。そこで、一切の変更なしに再び掲載したいと思う。そして現実はますます自分の予感通りに進行していることに薄ら寒さを覚える。もっともアメリカがいともあっさりイラクから撤退するとは思っていなかったが。
自衛隊法がどうの、憲法がどうの、そんな議論ばかりしている方々よ。アメリカの露払いをしている限り、なにを変えてもだめなのだ。欧米植民地主義の忠実な下僕の道から撤退しないかぎり、何をやってもだめなのが、まだわからないのか。今回のアルジェリアの事件、背景となっている、フランスのマリへの軍事行動がほとんど報道されないのはなぜだ?マリの、アルジェリアの国内の政治状況もよくわからない。メディアが報道しないからだ。たぶんわからないのだろう。
イラク戦争へのまったく無意味な加担で、化けの皮がはがされた。それが今日の出発点だ。イスラム世界と日本の平和で友好的な関係の蓄積はアメリカへの卑屈な従僕根性によって、一瞬に帳消しとなった。
新装オープン
高級スナックなでしこの詩
疲れの皆様に真の憩いとうるおいを提供します
おそらくは歴史上初めて日本人がイスラムの憎悪の標的とされた。
この意味は限りなく思い。
中東の地をふむあらゆる日本人が本気で中国人を偽装しなければならない時代になった。いいですか。中国人ですよ。なぜか、おわかりですよね。
わたしは一人の無責任な旅行者として言うが。
アルジェリア、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン、モロッコ、イラク、リビア、イラン、トルコ、サウジアラビア、スーダン、シリア、エジプト、バーレーン、ヨルダン、レバノン、ファラスティーン、チュニジア、モーリタニア、パキスタン、アフガニスタン、イエメン、そしてインドをこれからも旅したいと心より望んでいるわたしの旅を、どうか邪魔しないでください自衛隊さま。お願いだ。わたしの旅はなるほど、この国の政治や経済に何ら貢献しないものではあろうが、つつましく旅するわたしは、ひとりのイスラム教徒の血を流すことも、憎しみの炎をたきつけることもないのだ。わたしはわたしの音楽のように無害である。
これ以上敵を増やしてどうするつもりなんだね?
イスラムをソ連崩壊後の人類の敵に認定し、世界を無限の戦争地獄にしたいらしい方々の術中にはまるのはいいかげんやめにしませんか。
テロリストという言葉の使い方も極めて怪しさに包まれている。つまるところあらゆる弱者の抵抗運動は権力によってテロと認定される。例外は、テロリストが軍服を着ていたときにのみでこれは、テロリストに対する正当な掃討作戦と呼ばれる。何度も書いたことだが、新撰組も明治政府から見れば稀代のテロリスト集団だった。
イラクにおける人道支援とやらは、アメリカによる傀儡政権作りへの抵抗が続く限りは、やがては全住民皆殺し作戦となるだろう。ならざるを得ない。少し考えてみればわかることだ。大儀名分を信じられず、ひたすら住民の憎しみのみを浴びせられる占領軍は、結局のところあらゆるイラク人を敵とみなさざるを得ないのであり、これは管理された大新聞のなかにけしつぶのように見出される米兵の言葉からも明らかだ。もしイラク全土での反米行動がさらに広がったら、アメリカは2300万人のイラク人をまとめてテロリスト集団と呼ぶのだろうか。そう、おそらく呼ぶだろう。そしてそのときには人道支援や復興や中東の民主化などよりもさらに美しい言葉が用意されるに違いない。
わたしは楽観していない。ベトナムが解放されるまでに20年以上かかった。その間約五万人の米兵がが死んだと言う。つまり自国民の犠牲者が五万人に達するまで、アメリカは戦いを止めないということだ。神に与えられた使命によって遅れたイスラム教徒を屈服させるために。この奇妙なキリスト教原理主義に対して、イラク人は支配されたくないから出ていってくれといっているだけである。きわめてまともな反応ではないのか?だれだって威張り腐った米兵による身体検査や住居侵入は経験したくないだろう。まして見に覚えのない拘束や住居や農園の破壊、赤ん坊すら容赦しない射撃訓練の的になりたいと思うお人は。これを読んでるあんたもそうではないのか。絶え間なく続く空からの暴力は、イラク人に虫けらなみの屈辱を植えつけるだけである。このような環境の中で育つのが暴力による抵抗だけであることは人間心理をちらとでも想像してみればわかることだ。まして彼らは無残なやり方で家族を殺されているのだから。
アメリカ政府の公文書は情報公開法によって25年後に公開されるそうだ。25年生きようではないか。そして9.11からアフガン空爆、イラク占領にいたる真実を確認してからあの世に行きたいものだ。