ゴォゴォと燃える煩悩の炎

どれだけ燃やし尽くせば鎮火するのだろう?


2年くらい前のある夏の夜

気の合う友人たちとアウトドアを満喫しながら、ふとそんな事が頭によぎった


今にして思えば、少し先の自分を予見していたのだと思う これが俗に言う「直感」というヤツだろう


そして2022年、2度目の厄年、直感は絵に描いたような分かりやすさで我が身に降りかかる


いろんな要因があるだろうが、一言にまとめてしまうならば「死に至る病」だろう



哲学者キルケゴールによると「死に至る病」とは

※他人ではなく、自分自身に対し折り合いが付けられず自暴自棄になったり、投げやりになったときなどに「絶望」が生じ、生きながら死んでいるゾンビ状態の事を指す

 

あくまでボクの場合だが、誰のせいでもなく自分自身に絶望していた去年の秋の終わり


もっと絶望出来れば「生」という苦悩から解放されると思いからドストエフスキーの「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」の物語に触れた



錆びついたドアにようやく手をかけたら

なるようになるさ ページをめくろう


とても奇妙な話なのだが、人間とはなんなのか?

という自分なりの結論へと導く輪郭が見えた気がする そして気付く


ボクの中に眠る「内なる光」はきっと知的好奇心なのだろう




ドストエフスキー祭りから始まり、日本史、世界史、宗教史、哲学etcと中田敦彦氏のYouTube大学のおかげで手軽に多様な知識に触れる事が出来た‼︎


その流れから実存主義の哲学者・キルケゴールへと辿り着き、すべてに釈然としてしまう


「自己愛」という名の炎が強ければ強いほど、バランスを崩してしまった途端、こんなにも脆弱なのだと身を切る経験を通じて学ぶ


そして「心」とは部屋のような存在であり、散乱していると自分の中の大切なモノを見失ってしまう 肉体もまた同じでほぐし続けなければコリは募る


心身ともに濁りきった状態が「歪み」を生む


それがきっとまさに厄年のボク自身だったのだろうと、今だからこそ「こんな時代もあったね」と笑いながら振り返る事が出来る(笑)



思うがままに綴ってしまった今回のブログだが、、あえて結論を出すならば、すべては紙一重のバランスで成立してるのではないだろうか?


ゴォゴォと燃える煩悩の炎

プラスの力に変換出来れば、それは紛れもなく「情熱」なのだから❤️



ひとりぼっちでも部屋から旅立つのよ

まるで絵本みたいな瞬間が訪れる