なんとなく以前から思っていたことだが、「小さなスマートフォンがないかな」と、いつも考えていた。
スマートフォンというよりは、画面がない携帯電話、と言ったほうが近いかもしれない。
ずっと長い間、電車などに乗った時に、ほぼ8割以上の人たちがスマホをじっと見ている光景を見て、スマホがなかった時代を思い出したりしていた。
私は携帯電話が日本に登場した時、その数か月後には手にしていた。
しかし今思えば、携帯電話からiモードが始まり、今はスマートフォンとなり、5Gや6Gなどの周波数帯を使う時代になった。その人体への影響についても、さまざまな議論がある。
電車や街を見る限り、スマートフォンに依存しているように見える人々を見ると、少し悲しくなる時がある。
スマートフォンがこれだけ世界を支配しているのかと思うと、私はぞっとする。
この小さな画面に自分を投影し、自己中心的な考えを形成しているのではないかと思うこともある。そしてバーチャル世界に没頭し、真実の世界を知ろうと考えることさえ難しい状態になっているのではないかと思う。
真実の世界とは、ニュースにも出ない、いわゆるオールドメディアには一切出ないような情報も含む。
かつて「陰謀論」と一括りにされていたような話についても、インターネット社会ではさまざまな情報や主張が飛び交っている。
「まさか」と思われるようなことを受け止められず、「受け入れられない」、もしくは「受け入れたくない」という心理が働き、認知バイアスが生じることもあるのではないか?
そのバイアスの原理を利用して、人の認識を特定の方向へ誘導することも可能なのではないか?
このように考えると、私たちはメディアを常に手に持ち、24時間365日、膨大な情報の影響を受け続けていることになる。
そう思うと、この世界が本当に嫌になってしまう時がある。
SNSの発達により、リアルタイムに情報が飛び交うようになった。
そして、その情報の真偽を確かめるための一つの手段として、今はAIが使われ始めている。
しかし、そのAIも会社によってアルゴリズムや学習データ、設計思想、安全基準などが違う。
そのアルゴリズムは、その会社の経営者や技術者が決めているのであろうか?
私はさらに考える。
国家も無関係ではないのではないか、と。
少し言い過ぎかもしれないが、AIは国家戦略の一部であり、核に勝るとも劣らないほど重要な戦略技術になり得ると、私は思っている。
AIを利用した情報戦や認知戦が、今後さらに大きな意味を持つ世界になる可能性もあるのではないだろうか?
今後、量子コンピューターのAPIサービスが本格的に普及した時、現在の生成AIの精度や能力はどのように変わるのであろうか?
また、AIを設計する組織や社会の思想が、何らかの形でアルゴリズムや出力に反映される可能性も考える必要がある。
現在、各国のAIを比較した時、歴史認識について回答が大幅に違うことがあることにも気がついた。
その歴史認識に基づいたアルゴリズムから生成されるAIの回答には、その地域の文化や思想、場合によっては宗教的概念などが何らかの形で影響しているのではないかと、私は推測している。
だから私は、一つのAIにすべての知能を詰め込んだ、巨大なマルチタスク型AIだけを唯一の答えとして推奨してはいない。
それぞれの分野に特化したAIが存在し、それらを司令塔となるAIが統括する。
それぞれのAIが直接話し合い、連携を取り、多角的な視点から検討し、最終的な判断を導き出す。
そのような自律分散型統合AIシステムネットワークの構築を私は考案している。
その一つが「Agent卍AI」である。
そして、その延長線上で、なんとなく気がついてしまった「画面のないスマホ」という発想から考案したものが「Cyber Stick卍α」である。
この「画面のないスマホ」という概念は、現在、生成AIが世間を賑わせ、市場を急速に広げている状況の中で、「AIを積極的に活用するなら、人とAIの接点そのものも変えられるのではないか」という、一つの使い方と人との関係性を考えたものでもある。
しかし企画書を作っているうちに、本当にこれが欲しいな、と自分でも思うようになってきた。
5年くらい前にもAmazonで「ペン型のスマホがないかな」と探したり、中国のサイトを探してみたりした。
しかし、私が欲しいと思えるものは存在しなかった。
ここ数年、AIや量子コンピューターなどの登場により、人のアイデアをそのまま具現化することは、以前よりはるかに現実に近づいてきているのではないだろうか?
古典コンピューター、あるいはスーパーコンピューターで非常に長い時間を必要とする特定の問題について、量子コンピューターが大幅な高速化を実現する可能性も研究されている。
そう考えると、大事なのは、やはり人々のアイデアをいかに具現化するか?
そして、それをどのように現実化するかにかかっているのではないかと思う。
そこで同時に必要なのは、悪いことに使わせない、あるいは悪いことに使うためのものを簡単に作れてしまう世界にしないことである。
そこで私は、Agent卍AIのコンセプトについて、ある倫理的な判断基準を組み込むことを考案した。
私が20年以上かけて歴史研究と世界の宗教・思想について研究してきた結果、「十非道」という私なりの行動・思考基準を作成した。
もちろん、これを誰かに押し付ける気持ちはない。
私の目的は「普遍性」である。
その普遍性を追求した結果として、頭で無理に考えて編み出したというよりも、長年考え続ける中で、心から自然と湧いてきたものなのである。
私は「普遍性」というものを、とても大事にしている。
日本の文化には、縄文時代から続いてきた共同体的な文化や自然観の痕跡が、現代にもさまざまな形で残っていると私は考えている。
この貴重な縄文文化の精神的な部分を現代に継承し、現在の西洋化された日本社会の中で、日本独自の文化や価値観をもう一度見直す。
私はその考えを「縄文2.0」と名付けている。
ものが溢れた資本主義社会。
その行き過ぎた結果として、ものやお金に対する執着を刺激する仕組みが、インターネットや街中の看板、商業広告など、社会の至るところに溢れている。
仏教で言われる、いわゆる「煩悩」の中に、我々は日常的に囲まれて暮らしているとも言えるのではないか。
この煩悩の働きを理解していない人々にとっては、時として、非常に苦しい社会になってしまう。
私がこの「煩悩」というものを深く知るきっかけになったのは、ある一冊の仏法の導きについて書かれた本だった。
それを読んだ途端、目から涙が溢れた。
今まで自分が苦しんできた理由が、腑に落ちたのである。
現在、日本では若者の自殺が深刻な社会問題となっている。
先日、20代の大学生の方と、一緒に事業を始める可能性について少し話をした。
その対話の中で、私は「お金」や「ポジション」といったものへの執着について考える機会があった。
その執着する心が、私にはとてもよく分かった。
私は「執着を手放してください」と言いたい。
しかし、私から20代の若い方にそのような話をすれば、煙たがられるかもしれないと思い、その場では一切反論しなかった。
もちろん、すべての20代の方がこのような思考をしているとは思わない。
ただ、多くの人々が、資本主義社会の価値基準から強い影響を受けているのではないかとは感じている。
資本主義とは何なのだろう。
お金が大きな力を持ち、資本を持つ者が社会に対して非常に大きな影響力を行使できる世界でもある。
その「マネーパワー」で動く世界が、本当に素晴らしい世界なのだろうか。
私は「MIND」というキーワードを使って、いくつもの企画書を作っている。
日本には「大和魂」という素晴らしい言葉があるが、現在の日常会話では、ほとんど聞くことがなくなった。
このような日本固有のマインド、すなわち大和魂について改めて考えるためにも、私は日々、仏教の中でも空海が説いた「十住心」を一つの重要な思想的基盤として考えている。
これを現代社会の中で理解できる形に整理し、システム化し、論理的に人々が自分自身の心を観察できる仕組みを作る。
自己中心的な世界の見方から、他者へ視点を向け、多観的に物事を見ることができるような工夫を凝らす。
そして、この壊れかけた世界を少しでも修復する。
私はそのようなビジョンを描いている。
そして今日、その第一歩となるかもしれない一通のメールが、初めて届いた。
私は今まで企画書を何十回と送り続けてきた。
しかし、これまでまともな返信をいただけることは、ほとんどなかった。
だからこそ、この貴重な一通の返信メールからご縁をつなぎ、この壊れかけた世界を少しでも修復できるチャンスにつながればと思うと、少し胸がワクワクしている。
だから、こんな長文を書いてしまった。
これはテキストを一文字ずつタイピングして書いたものではない。
音声で入力したものである。
だからこそ、ある意味では、これは私の心からそのまま出てきた言葉なのだと思う。
この一通のメールから広がっていくご縁を祈願して、近いうちに明治神宮へ行き、明治天皇様へご挨拶、そしてご報告に上がろうかと思っている。
22時40分