同調は人類の歴史と同じ長さを持ち、一種の社会的な接着剤としての役割を果たしてきた。その一方で、同調は圧力となって人々の暴虐な行為を助長し、更には創造的な能力・個性を潰しもしてきた。
  では、そもそも同調とは何か。この概念を概ね理解するには、①何が真実で何が正しい事なのかという情報を、自分以外の行動や発言が提供する。②自分以外の人の行動や発言は、その人に好かれ続けたい場合に何をすべきか、何を言うべきかを教えてくれる、という2つの要点を抑えることが肝要であるという。
まず、同調と圧力にかかる害悪について全般的に概説し、つづいて社会におけるカスケード(情報・評判の社会における連鎖的影響:長濱的意訳)、及び集団極性化(同じ価値観を持つ人だけが集まり議論すると、その価値観をより極端な方向に進めること:長濱的意訳)を取り上げ、同調は何をし、どのように作用するかについて、各種先行研究等を読み解きながら論じていく。

以下私見
自律・自立的な思考ができる方にはおすすめ。そして、それを行為として残せる方にはさらにおすすめである。知的好奇心を擽られること間違いなし♪(だから、概要については極力簡略化した)

さて、同調圧力といえばここ数年続いているコロナでのバカ騒ぎが典型であろう。本書に即して考えてみると、無思考・無批判な所謂「真正のナニ」がコアとなってカスケードを造る害悪の張本人である。そして、ある程度の思考を巡らせることができても、自律できない人がいわゆる同調圧力にのっかってしまった人々である。とするなら、帯にある、長谷部先生の『個人の利己的同調は集団を破滅的決定へ導く』の、『個人の利己的同調』をする人がこれにあたるのだろう。
真正のナニはそもそも論外であるが、この利己的同調をした人達は、自らの行為を利己的と自覚しているのか、それとも無自覚なのか興味があるところである。いずれにせよ結果として、自律は出来ていないのだから大差はないんだろうけどね。ただし、この自覚的なのか、無自覚的なのかの違いは、各種政策を打つ場合においての対策は別物となりうる。