政治哲学は、社会制度の制定や公共政策の策定にあたり、政治がこの意思決定を行うにあたっての価値基準となる規範を考慮する学問分野である。ジョン・ロールズ以降の現代政治哲学では、正義の問題、つまり道徳的正しさが主要な論点であった。
しかし、現実の政治的決断の場面というのは正しさの選択というよりは、『よりましな悪』といった悪さ加減の選択と言った場面がほとんどではないだろうか。実際に過去から現在にいたるまで、歴史的に重要な政治決断がなされた舞台がそうであったように。
サンデルのトロリー問題といった政治哲学の思考実験のほか、文学作品にみられるどちらを選んでも正解とは言い難いジレンマ状態や、現実の国内外の政治情勢を題材として「悪さ加減の選択」めぐる哲学的考察を加えていく。
以下私見
まずは、久々に校正(笑)。P62最終行、「家事」は文脈上、「火事」となるはずである。新書で見つけるというのは、なかなかない貴重な体験です♪
なるほど、規範理論については、道徳的な正しさ、公正さについて学生時代を通して議論をしてきたが、『よりましな悪』について深く議論してきたことはなかった。ということで、新鮮な感覚で読めました。やはり学問は奥が深い、これからもしっかりと脳に栄養を与えてやらないと!
さて、21世紀に入り、四半世紀が経過した現在、世界各国で社会的分断が進み、いわゆるポピュリズム政党、政治家が世界各地で幅を利かせるようになった。こういった政党、政治家を支持したことにより、これらの支持者ははけ口を得て一時的なカタルシスを得たのかもしれない。しかし、結局のところ、これらの人々は実生活での社会的不利益、経済的不利益を回復・解消するに至っていない、というのが実態だろう。物価高に苦しむ人々がいる一方、株式・不動産といった資産価値が上昇したことで恩恵を受けている人々がいるわけだから。このような状況は、どう見ても『よりましな悪』といった選択がなされてきたとは思えない。
そんななか、アメリカのポピュリズムについて、今年の公共政策学会会長の講演は面白かった『金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政治』だって(笑)。多くのポピュリズム支持者たちは何の恩恵も得られていないというわけだ。とはいうものの、ここ10数年にわたる日本のポピュリズムも似たようなもんかな。いうなら『仲間内の、仲間内による、仲間内のための政治』といったところか。





















