ただいまトルコ東部、アブラハム生誕の地シャンウルファにいる。

ここの街は人口47万人と割と大きい。
シリア国境に近いということから、トルコというより、アラブの雰囲気が至る所で感じられる。
この街の人々のターバン、スカーフの色はさまざま。非常におもしろいことにターバンの色で出身民族がわかる。
赤と白のチェック柄のアラブ人。
黒のイラク人、もしくはパレスチナ人。
ここまでは見たことある色だが、この街には紫色のターバン、スカーフを身につけたクルド人が存在している。
クルド人といえば、けされた民族、今なお差別され続けている民族である。
彼らを扱った映画もあるほど、情勢に占める関連性も高い。
誇り高き孤高の民族である彼らは、とにかくかっこいい。
民族浄化に反対し、常に独立を求め、独自の文化、音楽、言語を展開している。
世界史の中で、マジョリティがマイノリティを非難するのは、ある意味自明だが、彼らはその鉄則に反し、戦い続けているのである。

ん?主観的な文になりすぎたので、ここで話を戻す。笑

というわけで、この街にはあらゆる民族がけして浄化ではないが、混在している。
非常におもしろい。

旧市街にはバザールもある。東部はおもしろいと多くの旅人に聞いていたが、ここまで楽しいとは思わなかった。
そしてなにより、飯がうまい。
アラブ色強めなのに、飯はがっつりトルコ料理。
ケバブ、ケバブ、ケバブ。
うまい、うまい、うまい。
といった具合である。

そして本日はハランという街へ移動ではないが、観光に。
その道中での出来事、アラブ人、ムスリム信者と会話した内容が頭にのこる。
ムスリム信者か、と聞かれ、無宗教だと答えるのは厄介になると妥協策をとり、仏教徒だと答える。
すると、彼の顔は笑顔から怒りへ。
同時に、ムスリム信者以外は嫌いだと、豪語、そして威嚇。
政教分離の進んでいるトルコで、この考え方はクレイジーだろ、と思ったが、言い分もわかる。
彼らにとっての神はアッラーのみであるからである。
単なる旅行者である自分自身、興味本位でモスクへいくこともある。それが失礼に値するのか、いまさらながらそうおもってしまう。
そこで大切になってくるのが、彼らを知ること、つまり文化、歴史を知ることである。同時に、自分自身について知ること、つまり自国の文化、歴史を知ることである。知るだけではなく、彼らにわかるように説明できないと意味がない。
とりわけ後者は忘れがちだが、ビジネスをするうえでも、旅行をする上でも、そこが異国であればあるほどそれらを意識しなければならない。
中東は危険だ、イスラム教徒は危険だ、それでおさめるのは、それこそ危険だ、私はそう思う。
エジプト革命に連動し、中東情勢は変化し続けている。
近い将来、中東諸国が重要なビジネスパートナーとなる可能性は高い。
その可能性をみこして、私自身、もっと彼らを知らなくてはならない、ただただ、そう感じる。



明日はマルディンに移動予定。


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