その老婆はひゃーひゃー笑っていた。70歳程度であろう彼女の品よくまとまった白髪、趣味のよいめがね。笑いが少しおさまると、僕にすら解るきれいなクイーンズイングリッシュで彼女はゆっくり言った。「AIR MALEじゃなくてAIR MAILよ、M. A. I. L 。」チペットナンバーワン、いやこの近辺1000キロでダントツの豪華ホテル、ホリデーインラサの正面玄関に僕は立ちつくしてしまった。

日本を離れて約1ヶ月、離れている恋人への手紙をだしに1時間を徒歩で、わざわざ泊まってる安宿からこの5星ホテルに手紙をだしてもらいにきたのだ。
 

「手紙をだしたいんだけども、フロントはどこですか?」

 その質問に僕の手紙をみた彼女は急に笑いだしたのだ。

そこにはきたない字でAIR MALE(空男)と書かれていた。

 ななな、なんと。今までこの「AIR MALE」は何回世界の空を駆け巡ったことだろう。ましてやその時つきあってた彼女は高校でアメリカに交換留学、その後、大学の外国語学部、そしてその時は外資系大手コンピュータ会社に勤務する才媛ではないか。

田舎の中学で始めて英語を習った、ウスがメガネをかけたようなおじいちゃん先生からブードウのおまじないのような手ほどきを受けて以来、英語をさぼってきたことをこんなに後悔したことはない。4択問題を天性の感で乗り切って合格した高校。入学した時、僕がアルファベットを全部書けない事実は担当英語教師にかなりの衝撃を与えた。

「おまえ、よく入ってきたな・・」

とお褒めの言葉をいただいた。

 

当時50周年を迎えた伝統校の歴史でも始めてらしい。おそらく、今だに100メートル走、11秒3の僕の記録とともに母校の歴史に刻まれているだろう。毎日、クラスの仲間の冷笑に送られてノートにアルファベットを書いて職員室にもっていったときもこの時ほど後悔しなかった。


 その後老婆はこのホテルは快適だが外のチベットはなんて不潔。英国と比べてなんてひどいの。原始的と野蛮という単語をくり返し文句ばかりいっていた。だんだん自分が原始的といわれてるような気がしてきた。

 老婆「どこからきたの?」

 僕 「東のはての原始的な国から」

 老婆「はて、どこかしら。ニューギニア?」

 僕 「日本です。」

老婆「あら、日本は”それほど”原始的な国じゃないわ。」

 クソババーだぜ!と思ったが AIRなMALEは元気ない笑顔を残してその場を去るしかなかった。

 今、世はIT。mail という言葉に接すると少し悲しい。田舎の中学で英語の時間、寝こけていたあの時、13年後まさかチベットでそのことを大きく悔いることになるとはどうして想像できたろう。人生は予測できない。

 当然だが日本に帰ってその時の恋人とは破局したことを最後に記しておこう。