こんばんは。

 

 

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ナカヤ カズヒロと申します。

 

 

現在、大阪にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。

 

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は「完全に悟るか?それとも俗世間で自由を手に入れるか?」という話をします。

 

 

 

 

 

 

 

昨日の記事でもお伝えしたように、仙人にはいろいろとランクがあるようで、天界も役所のように上下関係があります。

 

 

 

 

 

ということは、すべての仙人にとって、心地が良い場所とは言えないであろうことが想像できます。

 

 

そのため、「そんな固苦しい場所に行くのはご免だ」と言わんばかりに、あえて修行を終えずに俗界でいつまでも自由に遊ぶような仙人もいますし、その反対に天界で何か失敗をしでかし、もっと徳を積むよう俗界に落とされた仙人もいます。

 

 

このような話を聞くと、とても人間っぽさがあって面白いと感じます。

 

 

さて、ここで少し、仙人になるための修行について、仏教の修行と比較して見てみましょう。

 

 

仏教では、「悟る」ために修行をしますが、この究極の目的は、輪廻から解き放たれ生まれ変わって苦しい思いをしなくて済むようになることにあります。

 

 

「苦しみ」には、生きている苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、邪魔する人と出会う苦しみ、心と体をうまく整えられない苦しみがあります。

 

 

これら八つの苦しみを二度と体験せずに済むように、出家して厳しい修行に取り組むのです。

 

 

ところが道教では、仙人になるための修行をするものの、仏教のように出家して修行の道に入らずとも仙人になる人が沢山います。

 

 

というか、むしろそちらの方が伝説としてたくさん残っています。

 

 

「悟る」ことは自由を手にする方法のひとつですが、仙人になる修行では、悟る前に、完全に悟るか俗世間で自由を手に入れるかの選択を迫られるようです。

 

 

ちなみにこの「自由」の中には、先ほど述べた八つの苦しみからも自由になることも、完全ではないにせよ含まれています。

 

 

このように「不老長寿」や「不老不死」は、俗世間をできるだけ長く楽しめるように(死ぬまでに修行を完成させるためでもあります)、仙人や仙人になる人の特徴として、物語の中でよく取り上げられています。

 

 

仙人を目指すのにも、人それぞれの思惑があるので、面白いですね。

 

 

 

 

ということで今日は、「完全に悟るか?それとも俗世間で自由を手に入れるか?」というお話をさせていただきました。

 

 

道教における仙人の修行は「完全なる悟りか、俗世間で自由を手に入れるか」という選択肢があるのが特徴です。

 

 

俗世間で自由を手に入れるために仙人の修行をするというのは、なんとも人らしくてユーモアを感じます(笑)。

 

 

仏教の修行は「悟るための修行」一択であることを考えれば、その点でも自由度が高いと言えるでしょう。

 

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

また明日のこの時間にお会いしましょう。

 

 

 

 

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