こんばんは。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
ナカヤ カズヒロと申します。
現在、大阪と奈良にて易占業を営みつつ、タオと陰陽五行の研究に親しんでおります。
どうぞよろしくお願いします。
今日は、心の器を広げるトレーニングについてお話いたします。
昨日は、心の器を広げる方法について、映画を見ながら行う方法をお伝えしましたが、仕事をしている時に感情に流されないようにトレーニングをしながら過ごすと、それだけで修行になります。
生活=修行としてできることを見つけるたびに、普段から実践する癖をつけるといいですね。
感情というのは実は、機械的な反応みたいなもので、スイッチを入れたら赤く光るとか、そういう機械みたいな感じで、反射運動みたいな感じですね。
ですので、感情に反射している自分を観察できたら、今はただここに存在しているっていうところに意識を戻すことができていることになります。出来事を、感情も含めた事象として捉える。それがうまくできれば観察しやすいと思いま
す。
どのような場所でも、ほとんどの人は当たり前という正誤の盾に守られたままで、感情も被害者意識と罪悪感にただただ反応するだけで生き続けていますので、田舎であろうと都会であろうと、若かろうが年寄りであろうがこれは同じで、反応意外にないと、それが当たり前で生きています。狭い道です。
そういう反応があるだけの人間関係であるなら、その場所からは息苦しさを感じることに変わりはないように思います。五常でいうところの智が足りない世界です。
たとえば100年前と言わず、昭和という過去に比べても、現代はもっと自由に生きやすいはずの環境であるはずなのに、どうでも良い些末なことが感情を左右してしまい、正しくありたい=間違えることへの批判と恐れがかえって足かせとなって、息苦しさから抜け出せないように感じて気持ちが晴れないのは何故なのか。
それは、ものの見方の立ち位置がひとつしかないせいです。それでは、息苦しい頑固さや頭でっかちの状態から、どうすれば抜け出せるのか。
1950年代から1960年代は、権威的なものを時代の息苦しさの代表として見、それと戦って乗り越える姿勢が格好良いと考えられていました。権威との葛藤を集団で乗り越えようとするムーブメントです。
ネットのない時代ですので、ひとつのムーブメントが田舎に波及するまでおよそ20年ぐらいかかりますので、1980年代がその終わりです。
現代は、権威を忌み嫌っていた世代が自分自身権威の象徴で、そこには反抗への恐れが消えずにあり、かつて自ら求めていたはずの「対等さ」を見失っている年配者が数多くいます。見失えば過ちを繰り返します。
ただ、彼らの賢さは、弱者も集団になれば力を持てると知っている所です。
一部の老人が、いまだに権威と戦い続けようといそいそと反対運動に出かけるのは時代の名残といえます。
ある意味プロレスのヒール的な「いずれ負けるけど本気で反対運動するから、こちら側に死人が出るようなマネはするなよ。それはお互い損やぞ」という運動です。
企業内部の組合組織も根は同じです。企業そのものを解散させると組合そのものが解体して労働者が大損してしまいますので、会社を潰すことが目的ではありません。好待遇が目的です。
企業が恐れているのは、昭和平成は総会屋、今では外部のユニオンです。つまり会社に大きな損をさせうる存在です。
五常をやっていると、五常的なものの見方をすることができますので、大局的な視野で捉えることが出来るようになります。
視野を広げるような人生体験がいくつもあれば、立ち位置が複数あることが分かりますので、自由なポジションを選ぶことができます。
しかし、ほとんどの人は、仕事や暮らしの維持のため、なかなかそういうわけにもいかないのが現状です。
また、昔からある視野を広げる方法として、読書体験があります。
心の器を広げるトレーニングは、寛容さと自由な意識を手に入れる練習になります。
その一つとして、ドラマや映画を見る方法をお伝えしました。
普段から、心の器を広げるトレーニングを意識して行っていると器も大きくなりますし、懐も深くなります。
人格形成にも役立ちます。ぶれない自分を作り上げてくれると思います。
そういう風に練習をずっと続けていると、しんどいことがある一定のラインを超える時が来るんですよね。1段階ステップアップするというか。その時に、凄く楽になりますね。
あ、なんかすごく楽になる。
という感覚があった時には、すでに限界突破しているんですよね。自分から段上の自分になっている状態ですね。
そう考えたら、苦しいこととかしんどい経験というのは、ただマイナスな出来事があるんじゃなくて、ゲームみたいにクエスト乗り越えて、クエスト終了したら報酬くれているわけなんですよね。
そう思って、悪いことも良いことに繋がる隠れたお宝ゲットのための出来事みたいに受け止められると、もう1 段しんどい出来事に巻き込まれなくて済むようになると思います。
リアルの毎日に翻弄されすぎていらっしゃるようでしたら、できるだけトレーニングをされると、何か得るものがあると思います。
そうやってご自身の幅を広げられる練習になると思いますのでオススメです。
映画を冷めた目で見れるようになったからといって、ずっとその状態が続くわけでもないんですよね。ちゃんと感情は残っていますし、そういう練習をやめたら私みたいにロボコップ飛んで泣くみたいな方にまた戻りますので安心してトレーニングされてください。
ということで、今日は、心の器を広げるトレーニングについてお話しさせていただきました。
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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
また明日お会いしましょう。