牙
過去、学んだ実績を持ち、
その後、怠ってしまった人ほど、
自身を有能だと『勘違い』している。
『亀の歩み』とはいえ、
道の凹凸に難儀しながら歩き続ける人の口から、
『自身の有能』を聞くことはない。
歩めば歩むほど、
自身の無知に気付かされざるを得ないから。
自身の知らない世界や
思いも寄らぬ価値基準のあることに、
いつでも、心を馳せておく。
傷ついた自分を回復させることは
自身でできる範疇のものかもしれない。
しかしながら、
傷つけてしまった誰かの心の回復に
その本人が努めるかどうかを
傷つけてしまった人が決められるはずもない。
人は、『傷つけられた』。。。と言う。
しかしながら、実際のところ、
イジメを除けば、お互いに、
傷つけ合うやり取りをしているのだと感じる。
その発端が、どこにあるにせよ。。。
自分は傷ついてもいいから、前に進む。
などと言う言葉を聞くことがある。
人は、そんなに安易に人を傷つけたりしない。
『自分が傷ついても』などと言う
『美しそうな言葉』の陰に、
自分が傷ついた『ワケ』からは
相手を『傷つけてしまった』ことによる反撃がみえる。
モトは、自分かもしれないことに
気づきもしない。。。
誰も『傷つけないこと』。
自分が決めた自分の『正しさ』という刃で、人を切らない。
このところ、この手の『正しさ』で、
相手を傷つけている姿を見かける。
そして、決まって、遠く耳にするのは、この言葉。
私が『正しい』のに、
その『正しい私』が『正しい』と言っただけなのに。
数えきれぬほどの『正しい』と言われる価値観のある中で、
自身にとっての『正しさ』の中には、
普遍性などないものが多いのだ。
気づきたい。
『無知の知』に。
他山の石として、自身への戒めも込めて。