あり得ないほど。。。 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

あり得ないほど。。。

僕は、人から認められる
『何ものか』に、なりたかった。


僕の中に、
『写真家』『絵描き』としての才能を、
見出すことは、できなかった。


大好きなラグビーも、
プレイヤーとして
開花することは、なかった。


しかしながら、それ以外のことでは、
本当に、勝ち続けてきてしまった。


決して慢心していたわけではないが、
孤高であったことは確かだと思う。


人付き合いを、苦手とは、していない。


にも拘らず、多くを避けてきた。


何をするにも、他人との調整などという
『わずらわしいこと』を経ることなく、
自らの得た情報に基づく意思決定を
完全に信じることが、できたから。




そして、今、思う。


だから、完膚なきまでに、敗れ去り、
絶望のふちにまで、追いやられたのだ。




間違ったことは、してこなかった。


その自信は、あった。




だから、周りに、敵がいるわけではない。


それも、確かだ。




しかしながら、
『正当に』勝ち続けた、
と信じていたから、


敗者には、弱者には、周囲の人には、
単なる、『ありきたりな配慮』をしてきただけで、
『特段の配慮』をしては、こなかった。




50歳にして、理解したこと。


それは。。。




だから、負けたのだ。。。と。




広島の友人の姿を見た。


あり得ないほど、丁寧で、
あり得ないほど、謙虚なのだ。。。


彼は、日頃から、口にしている。


自分には、能力があるわけではない。


だからこそ、


あり得ないほど、優しく、
あり得ないほど、温かく、
あり得ないほど、丁寧に、


あり得ないほど、
あり得ないほど、
あり得ないほど。。。


彼の周りには、
味方が、いっぱいだ。




僕は、最後には、惨敗を喫し、
彼は、成功を収めている。


これが、事実だった。




そして、彼は言った。


『僕も、昔から、こうだったわけではない』


と。




今、僕は、歩み始めている。


彼のように。




49歳10ヶ月で、
すべてを捨てて、再出発をした。


彼のように、なるために。




あれから、11ヶ月。


何かが、動き始めていることを感じる。




僕が、僕になるために。