『KAMI』 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

『KAMI』

いつのころから。。。かな。。。


優れた行為、判断に対し、


『神だ。。。』


という言葉が贈られるようになった。。。


まあ、そこまでは、『かわいい』


(笑)


そう思う。


(*^_^*)




そして、この言葉を自らに対して、


『神になる。』


と、使う。。。


これを耳にしたとき、
この言葉を是認する思考回路に対し、
強い違和感を覚えた。


ちなみに、この言葉は、
当該思考回路の皆さんにとっては、単に、


『超すごい人になる。』


というだけの他愛もない意味しか持たないこと。


それを理解した上で尚、
使用を差し控える側の人間でありたいと思う私です。


多神教。。。特に、日本の文化の中で、『神』とは、
決して、完全無欠な存在ではなく、
単に、能力の一部が、『神がかり』的である。。。


というだけの存在である、理解しております。


ただし、その能力ゆえ、
『人』たりえぬ存在として畏れられ、崇められております。


ましてや、一神教の中での『オールマイティ』となれば、
『完全無欠』な存在として『定義されたもの』であり、
『人』の一切及ばぬ存在として、崇める対象で、あります。


もちろん、彼らの『神になる。』の言葉に、
宗教的な意味など、微塵もないことも承知。


これらを認めた上であっても、
私は、この言葉を吐かない人間で、ありたい。


『神になる。』という言葉を耳にしただけで、
『なんと不遜なことを言う人なのだろう。。。』
と思う私のような人は、


『あなた』が、『神になる』ためのお手伝いからは、
直ちに、手を引くことと、なります。


『不遜な人間』に対しての助力なんて、
真っ平ごめん。。。だから。


『神』に、なってしまうと、


耳の痛い話は、はいってこなくなる。
私のような価値観の人は、非協力的になる。


多くの賛同を得ることのできる人が、
優れた結果を手にする可能性がある。。。というものでしょう。


周りの人の協力なしに、
あなたは、『神』に、なれますか!?


英語圏の言語文化では、
『G』『O』『D』という単語を、
『人間が、口にする』ことさえ、
不遜とされ、タブー視されていること。。。


『神になる』お方様。。。


それくらい、知っているよね。