タイトルの出自(まわりから、『ありがとう』と言われて、生きていきたい) | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

タイトルの出自(まわりから、『ありがとう』と言われて、生きていきたい)

あしあと


作者:マーガレット・F・パワーズ 
訳:松代恵美


ある夜、わたしは、夢を見た。
わたしは、主とともに、渚を歩いていた。


暗い夜空に、
これまでのわたしの人生が映し出された。


どの光景にも、砂の上に、
ふたりのあしあとが残されていた。


ひとつは、わたしのあしあと、
もうひとつは、主のあしあと、で。。。あった。


これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに、目を留めた。


そこには、ひとつのあしあとしか、なかった。


わたしの人生で、一番、つらく、悲しい時だった。


このことが、いつも、わたしの心を乱していたので、
わたしは、その悩みについて、主に、お尋ねした。


「主よ。わたしが、あなたに、従う、と、決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださる、と、約束されました。
 それなのに、わたしの人生の一番つらい時、
 ひとりのあしあとしか、なかったのです。
 一番、あなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしには、わかりません。」


主は、ささやかれた。


「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。
あなたを、決して、捨てたりは、しない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。


 あしあとが、ひとつだったとき、
 わたしは、あなたを、背負って歩いていた。」







私は、『主』でも『神』でも、
ありえませんけれど・・・、


ともに過ごす、
すべてのものとのあしあとが、
ひとつに、なりしとき・・・・・


私は、
『背負い』『歩く』ものの側で、
ありたい。


まわりから、
『ありがとう』と言われて、
生きていきたい・・・・・


私の記事発行媒体のタイトルは、
まさに、ここから来ています。


生涯に渡る平穏を求めて、
さすらう心は・・・・・


自分を受け止め、
ともに歩んでくれる何かを
探し求めています。


時に、
背負われることを想いながら。


その『何か』が、何であれ、
『何か』を求め、
それを得られたものは、
幸いです。


『背負われる』ことができるから。


私も、小さな、ひとつの生身。


この先も、
『背負われる』ことの安堵を
手に入れたい日が、あるでしょう。


それでも、この身が朽ちるまで
それでも、この名が朽ちるまで


『背負い』『背負われ』生きる中、


『背負う』日の多からんことを
わが身に課すもので、あります。