友として、 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

友として、

友が迎える船出なら、
どんな船出を迎えようとも、



本人が、自己責任を認識しての船出なら、
【mani】は、口を挟みません。


むしろ、勇気を讃えます。


飛び立つ一歩の、そのときに、
傍目を気にするような人が、
成功なんて、するはずないもん。


どんなに親しい間柄でも、
『本当に、心配して、反対』したって、
未来は、本人の意志で、決めること。


結局は、


『まあ、俺の口出しすることじゃ、ないけれどね。。』


って、引き下がらざるを得ないことだから。。。
はじめから、一切、口を挟みません。




翻って、自分が迎える船出の際には。。。


事情があって、応援すらできないけれど、
骨は、拾ってやるよ。。。


心の中でだけは、応援しているよ。。。
心の中だけで、口にも出せないけれどな。。。(笑)


共に歩むことが叶わぬときには、
そう言ってくれる友が、『友』だと、信じている。


友とて、友自身の事情が、
いろいろあるはず。。。だからね。




もちろん、心配して、
いろいろ、アドバイスをくれるのは、
本当に、うれしいし、感謝します。


友からは、
どんなことを言われても、受け入れられます。


万一、『友』に意見を求められ、
『親切』のつもりで、話したことが、
友の心を傷つけて。。。


つまり、『距離感』のすり合わせに失敗した場合には、
相手を傷つけることなく、自分が傷。。。つけば、いい。


誠実に、自己犠牲を厭わずに、
相手の幸せを願っているのなら、
距離感をはずされても、はずしても。。。
きっと、明日も、仲良しで、いられる。。。


友との関係は、いつでも、
そう、あって。。。欲しいな (*^_^*)


もし、【mani】が、
友に意見を求めたときには、
友から、何を否定的に言われても、
『仲良し』の、ままです。


(*^_^*)




応援しているよ、と、
声をかけてくれるのも、もちろん、
涙が出るほど、うれしいよ。


それでも、大切な何かを賭しての船出のときには、
『嘘の臭いのしない』同盟こそ、ありがたいんだ。


本当に、『心を配る』なら、


『心配せずに、やって来い』
『今、俺に出来ることはあるか!?』
『傷ついて、飛べなくなったら、俺を呼べ』
『骨だけは、地球の裏側まででも、拾いに行ってやるから。。。』


こう言って欲しい。


【mani】も、大切な友の船出には、
必ず、そう、いいます。


少なくても、自分の経験値の中に
前例が存在しないからと言って、
頭から否定する『愚』だけは、犯しません。


共に生きると決めたのだから、
共に歩むと決めたのだから、


友が、僕のもとを去るまでは、
僕は、決して、去りません。


友の。。。もとを。
君の。。。もとを。