この使い方だけはダメ! | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

この使い方だけはダメ!

娘が、録画したテレビドラマを観ていました。
その姿を見て、恐怖を感じました。



何に? 何で?



はい、



ドラマの『おおところ』だけを観ているのですよ。
あらすじの展開する場面のみ。。。



たとえば、ドラマの中での野球の試合。



ピッチャーが投げて、バッターが打つ。



まあ、それは、当たり前なのですが、
投げる瞬間、打つ瞬間、そして。。。
ドラマの展開。。。



それしか、観ない。。。



途中のバッテリーの呼吸。



バッターの心理描写や間合い。



それら、人が、人との間合いを測る描写は、
リモコンで飛ばしてしまう、
早送りしてしまう。。。



恐怖を感じました。



この娘たちは、
実社会で、人が、人との間合いを測るしぐさ、
その間合いの意味。。。その価値。



ときには、言葉も要らない、心のふれあい。



価値観の違う人や文化における間合いの違い。



そういうものを、
いつ、トレーニングするのだろう。。。と。



否、そんなものには、
興味を持ってくれていないのだろうか?



なにもかも、即物的に。。。
欲しけりゃ、抱くのか。。。



心配になる。



泣く人の。。。喜ぶ人の、肩を抱く。
その手の、腕の、力加減、タイミングで、
愛されもすれば、嫌われもするのに。。。



キスの間合いのへたくそな
女になるなよ、娘たち。



心配だ。



相手の心を慮る能力が育たないばかりか、
それを必要と思わず、
『結果』と言う、自らの権利のみを主張する
モンスターに、なりはしないか。。。



結果だけ、答えだけ、
知って、何に、なるのだろう。。。



デジタル文化よ。技術者よ。



『高度化』とは、
こういう『読み飛ばし』は、不可能になるように、
技術を伸ばすことですよ。