愛しきものとの別れ
長年連れ添ったペットとのお別れ。
その存在は、
家族同様だったり、
ときに、
家族以上だったり・・・・
『離別』は、苦しいですよね (*^-^*)
最大の敬意をもって、接し、
自分にできることは、『やった』と、
思うことで、
自分の心を開放してやるのが、
自分へのいたわりであると信じます。
科学的には、ペットの心の中に
『死』の概念が、なくても・・・
ペットという概念自体が、
擬人化されているのだから、
あえて、その心も擬人化してみれば、・・・
あなたを愛してくれたペットは、
あなたがペットの死で、
生涯、苦しむようであれば、
不本意の極みでしょう。
痛くても、苦しくても、
死んではいけないのだから。
それでは、末期のケアとしては、
悲劇であります。
心安らかに、暇乞いを、受け入れてやりましょう。
あなたの愛しいペットも、
きっと、それを望んでいますよ。
http://somalism.net/tencommandments.html
『犬の十戒』
を、贈ります。
末期の治療方針で、
悩む人もいると思います。
亡き、父母の話をします。
母は、46歳で他界しました。
私は、48歳に、なりました。
41歳で乳ガンになり、・・・
亡くなったのは、5月4日のことですが、
医者から、助かる見込みのないことを告げられたのは、
5月1日で、余命1ヶ月ほど。
延命措置(輸血)をすれば、
6ヶ月の余命となるかもしれない。
しかし、輸血をして、
心臓が、耐えられなければ、
即日の死も想像できる。
とのことでした。
父と相談して、延命措置をすることになりました。
生前、母は、『太く短く』
と、自分の生涯への理念を掲げていた人なので、
延命措置の不成功によるマイナスを、
きっと、天上からも受け入れてくれるだろう。
と、判断して。
また、父としては、どんな姿であろうとも、
生きていて欲しかった・・・・・
その姿が、いかなるものになろうとも、
生きている母を、一日も長く、
見続けていたかったのだと思います。
それほど、愛していたのだと思います。
この時、父は、57歳でした。
母を看取ることは、その日まで、
想像すらしていなかったことだと思います。
心の葛藤は、あったと思いますが、
『できる限りのことをやった』
その心が、かえって、
離別の後の苦しみからの離別を
早めてくれます。
悲しみは、人の心。
あって、当たり前。
そして、離別の悲しみからの離別も、
あって、当たり前です。
もっとも、その父は、その年の8月1日に、
倒れて緊急入院しました。
7月からは、一緒に住んでいた私ですが、
全く気付きませんでした。
ほとんど、食事をせず、
缶コーヒーと酒で、過ごしていたようです。
母がやっていた仕事も自分でやるようになり、
過労も加わっていました。
生きている人を優先しろ!!
と常々言い続け、
私の祖父が亡くなったときも、
生きている者が、死んだもののために、
何かを犠牲にしてまで、何かをしてやる必要はない。
お前は、学校があるのだ。
お前の仕事は勉強することだ。
葬式のために、お前が、学校を休んだら、
『じいさんは、泣く』
と、言って、小学生の私は、
葬儀に出られませんでした。
そんな強い父も、連れ合いの時には、
具合が悪くなるまで、
コントロールに失敗するのだから、
人間なんて、かわいいものです。
その父も、
64歳で他界しました。
亡くなって、丸14年に、なりました。
彼も、意識不明になって、
2日で、亡くなりました。
いい人生だったと、
残った我々は、感じています。
ベストを尽くしたし、
人から、愛されました。
たとえ、怖がられ、
憎まれていたとしても、
それは、彼の『正しさ』を、
疎ましく思う人たちからのものでした。
大丈夫です。
死して朽ちぬ命は、あります。
あなたが、その存在に頼ると、
心が苦しくなります。
存在には、頼らず、
でも、心の片隅に、忘れずに・・・
あなたが、毎年、その存在のために、
1分でもいい。。。
あなたの大切な時間を割いて、
彼らのために、敬意を示す時間があれば、
その存在は、死にません。
PUREな心
その中で、生き続けてくれるはず。
今は、肉体の存在に、
固執しない。
『心』
10年連れ添った、ニモが、
お星様に、なりました。