ひとは、いつ、おとなになるのか
敬老の日。。。
立派な若者も、
情けない、ボラボラのマルコじ~さんも、いる。
ボラボラのマルコじ~さん
酒飲みで、貧乏で、フニャフニャで、
誰にでも、話すのさ、ついてない人生をアレコレと。
(-。-*)o
最後の行が、サイテ~。
死して朽ちず。。。
そんな風に、『人の口に立つ』人物に。。。
少なくても、人格だけは、なりたいものです。
以下、過去記事です。
ひとは、いつ、おとなになるのか
上の娘が小学校4年生のときに、
尋ねてきた。
3時間、自分と向き合って、
次のように答えた。
小学校4年生向けだったので、
ルビは、ご愛嬌。
内容は、今、彼女が、わからなくてもいい。
大人になって、思い出せば、それでいい。
と思い、綴ったもの。
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自分の都合が判断基準に反映(はんえい)しなくなった時。
法と正義を基準に行動できるようになった時。
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勿論、人間が、生き物である以上、
自(みずか)らの生命・人体に危機を感じる場合だけは、
自分の都合を優先させることを以って、
おとなであることは、否定(ひてい)されない。
これは法や正義でも許容(きょよう)していることであるが、
視野(しや)の狭(せま)いものは、すぐに、これを忘れる。
それに比べれば、些末(さまつ)なことにあたる、
地位や名誉(めいよ)や財産、面子(めんつ)などは、
判断基準に反映するな。
特に自分のそれらは。
本来、地位や名誉や財産、面子などは、
おとな以外が持つべきものでは、ない。
『おとな』だからこそ、
地位や名誉や財産などが、
備(そな)わる社会で、ありたい。
これは、理想論(ろん)過(す)ぎるか・・・
しかし、
ひとたび、生活の全てを投げうってでも
正義を通した人を見たら、助けてあげよう。
少なくとも、骨を拾ってやろう。
また、ここでいう『法』とは、
過去(かこ)数百年の常識を鑑(かんが)みたもの
すなわち、現行法である。
『正義』とは、
今、この地における良識の集合体で、ありたい。
今の日本では
被選挙権(ひせんきょけん)を除(のぞ)くと、
すべての市民的権利(けんり)と義務が、
満年齢20歳で、
すべての人に与えられる。
これには賛成(さんせい)するが、
これを以って、
『おとな』とするは
甚(はなは)だしき悪(あく)平等(びょうどう)と、
心得(こころえ)よ。