引き際の美学 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

引き際の美学

今日は、仕事を終えてから、
池袋の東京芸術劇場へ。



『東京フィル』を聴きに行きました。



指揮は、久石譲さん



MCと曲の中の語りの部分



●●●●さん



演奏や構成が、上手なのか、否か。。。



調子が、いいのか、否か。。。



そんなことは、【mani】には、
わっかりませ~~~ん (*^_^*)





ただ、本当に、残念だったこと。



『語り』。。。



これだけは、
素人の【mani】の目から見ても、
明確な練習不足。



『客に聴かせるもの』では、
ありませんでした。



きっと、彼女が、無名だったら、
絶対に、抜擢されていないと、
信じられる。。。



東京フィルのメンバーに選ばれることだって、
きっと、簡単ではないはず。



壇上で、演奏したかったけれど、
僅差で、選ばれなかった奏者も、
きっと、いるはず。。。



彼女のファンの方には、
大変に、申し訳ないですが、



『後進に、道を譲る。。。』



その時期について、
考えさせられたコンサートに、なりました。





プロだから、
どんな場合も、全力投球は、当たり前。



『名が売れている』なら、
絶対に、練習だけは、
おろそかにしないで欲しい。。。



もちろん、プロだから。



満足に練習できないのだったら、
そのスケジュールでは、仕事を請けない。



そんなことくらい、できるはず。
彼女には。





タレントを売るプロが、さ。。。



練習を怠ったら。。。
練習する気力が失せたら。。。



引退だよ。。。



『名』を外して、舞台に立って、
『ソリスト』として、
『輝き、魅せ』られなくなったら。。。



引き時。





それは、ひとえに、



『名のない後進』が、



『自分だって、力量では負けないのに。。。』
『あんな練習不足で、舞台に立ちやがって。。。』



そう、舞台の袖で、感じたとき。。。



その舞台については、
引退だと。。。思った。





彼女の『語り口』に、
『老い』を感じたからでは、ありません。




『出演できない』人も、いる中。。。



練習不足のまま、舞台に立ったから。。。





はっきりと、『出演できない人』への
不遜を感じました。