名選手、必ずしも名監督たらず | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

名選手、必ずしも名監督たらず

使い古されたタイトルですが。。。



聖徳太子(いないという話は、横に置いておいて(*^_^*))の
17条憲法の第7条に



『官のために人を求めて、人のために官を求めず』



という、くだりが、あります。



また、書経という本の中に管理任免の告諭(人事の基本)として、



『徳さかんなるは、官をさかんにし、
 功さかんなるは、賞をさかんにす』



つまり、
人に信頼されるような徳のあるひとには、
それにふさわしい役職を任せ、
功績のあった人には、給与の面、名誉の面で報いる。



ということのようです。



昨今の社会を構成する組織をみてみると、
どうも、『功さかんなるは、賞も官をもさかんにす』



と、なっている感が否めませんね (*^-^*)



この世の中、
『手に職』のある技術者が、高い評価を受け、
その結果、高い報酬と、評判を手に入れることは、

全く以って、必要なこと。



そのために、高い技術を持った人が、
その技術の『審査員』となることは、
極、当然のことと思われます。



ただし、
その『審査員』の人選に、あたり、
やはり『手に職』のある技術者が、
その任に当たるというのは、
如何なものでしょうか?



少し、バランスが悪くなりはしないかと心配です。




オリンピックの100メートル走で、
100分の1秒を計測する時計を開発することはOK!



でも、◎◎小学校の運動会に、必要?



機械警備の設備で、パッシブセンサー。



一般家庭用は、ねずみが、動いたくらいでは、
反応しない『鈍感』な機種のほうが、高級品です。



技術屋さんからの視点でのみ、評価された『技術』って、
世の中にとって、『利用価値』を見出せなかったり、
『too much』だったり・・・



そして、強い個性を持っているであろう『技術』屋さんを、
過去の栄光の技術を引っさげてきただけの『過去の優秀な技術屋』さんが、
纏め上げられるかしら???



やっぱり『徳』がないとね~~♪



(纏めのルール作りが、うまくできない芸能界は、結局、古い年功序列)



現役時代の評価が、
強く『技術』に依存する『スポーツ』の業界など・・・



ちょっと、心配です。



もちろん、一流選手は、精神も一流でしょうけれど、
それは、自分の心を制御する力 ♪



人の心を束ねる力量となると・・・・・
別の『技術』のような気がします。



本当は、『徳』で、あって、
『技術』では、ないと思うけれど(笑)



あっ、別に、
大相撲批判では、ありません。



この記事を書いたのは、
もう、4年も前のこと。



(笑)



うちの会社の人事も。。。



頭が痛い(笑)