ひとりは、みんなのために。。。
One for all.
All for one.
【mani】は、ラグビープレイヤー。
もちろん、もう、現役で、
グラウンドを走り回っているわけではありません。
でも、たった、ひとつのボールを繋ぎ、生かし、
無限のパターンで織りなされる攻防の中で、
自分以外の29人のプレイヤーの動向を
目で追い、耳で確認し、心に場面を映して、
自分の『次の1歩』を決める。
それは、今でも、【mani】の生き方
その『一歩』は、
次の瞬間の場面の展開を、想像し、
味方プレイヤーの得手不得手を知り尽くし、
相手プレイヤーの強み弱みを解析して、
勝つための『次の次の一手』
その一手ための『一歩』でも。。。あります。
ここで、こう、突破したら、こう、展開する。
でも、突破し切れなければ、ここで、停滞する。
ならば。。。
動きの中で、多くの未来を予見し、
今の自分の最適行動を決定する。
後ろに、目なんかついていなくても、
味方の誰が、どこに、いてくれるのか。
とっても、極端に言えば。。。
わかっている。。。
【mani】の動きを見て、
次のプレイヤーが、次の動きをするから。
同じ目標と、共通する戦略・戦術を持つから、
味方の動きが、わかるんだ。。。
あいつが、次に、どう動くか、
【mani】の動きを見て、
次のあいつが、どう、動いてくれるのか、をね。
何よりも、共に、練習を積んできたから。
そして、
ひとりは、みんなのために
みんなは、ひとりのために
徹底しているからね。
セクショナリズム!?
俺の仕事、あいつの仕事!?
誰が、ミスした!?
誰が、負けている!?
誰の責任!?
批判!?
面子!?
そんなこと、関係ない。
今、一番手薄なところに、
今、一番有効なところに、
全力で、走り込み、助ければ、いい。
誰が取ったトライか!?
そんなこと、関係ない。
ひとりひとりが、場面場面で、
体を張って貢献して、
犠牲になって、手に入れたものさ。
チームが、取ったトライなんだ。
全員が、キャプテンシーを持って試合に臨む。
もちろん、チームのキャプテンは、
絶対的なキャプテンシーを要求される。
まとめ役だからね。
猛烈に苦しい練習を耐え、
自らを磨き上げてきた、ひとりひとりのプレイヤー。
それを『まとめる』のだから、
技術や体力では、ない。。。
そう。。。
『徳』以外には、ないんだよ。
どんな局面でも、事前に予測し、
ちゃんと、手を打ってある。
『あいつのために、働いてくれるやつは、たくさんいるから、大丈夫』
『知恵と技術と才能と。。。みんな、あいつが使いこなしてくれる』
『あいつが、なんとかしてくれる。』
味方が、そう思えるやつが、
キャプテン。
リーダーだ。
徹底的な自己犠牲を以って。
それが、他のプレイヤーの心の拠り所。
プレイヤーは、『自分のため』なんていう、
ちっぽけなものでは、とてもじゃないが、
80分間を走りきれない。
全能力を発揮できない。
人間なんて、甘いから。
同じ練習をしてきたのに、今、
ベンチに、観客席に、いざるを得ない仲間。
自分の心を支えてくれたメンター。
強烈な目標意識と闘争心。
そして、キャプテンのキャプテンシー。。。
それらへの貢献意識が、
全力を出し切るためのモチベーション。
自分よりも、40キロも重い相手プレイヤーが、
自分をめがけて、全速力で走りこんでくる。。。
そこに、防具も付けずに、タックルに、はいる。
ただちに、立ち上がって、ボール奪いに行く。
ウォッチアップして、また、タックルに行く。
そんなことは、自分のためだけじゃ、
できないんだよ。
『お前を勝たせてやりたい』
そんな気持ちが、すべてなんだ。