心の病は、なぜ、減刑されるの!? | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

心の病は、なぜ、減刑されるの!?

犯罪に対する量刑決定においては、
犯罪の『意思』『意識』が
どれほど、あったかが、大きく問われます。



業務上過失致死と殺人を
同じ土俵では語れない。



その理由と一緒です。



そして、その『意思』『意識』の有無に『のみ』、
『平等』に『FOCUS』するから、
精神的『病』までもが、
減刑要素と、なってしまうのですね。



この時代、優生保護法を復活させることは、
まったく、不可能ですし、不健全だとも思います。



しかしながら、『優生保護』
(漢字の意味としては、本来『優性遺伝子保護』)
を意識しない生物種が、
本来、生き残れるはず、ありません。



人類とて、本来、一生物。



この原則から、簡単に、免れられるとは、
思えませんが、・・・



生まれ来るすべての人を、
みんなで、支え合う。



そこまでの叡智なら、
人類が持っていることをも信じたい。



誰もが、願うところ、と、信じます。



しかしながら、その結果、犯罪として、
罪のない人を傷つけてしまった『人』を、
『平等』に、『犯行意思』の有無強弱だけで判断し、
『無罪』判決すら出す現行法体系には、
はなはだ不適切な悪平等の感を禁じ得ません。



そこまで行くと、
優性遺伝への逆差別すら感じます。



ただ、病気の彼らを育て上げることを決意し、
育てた人々の心情を鑑みるに、
偲びがたいものも、感じます。



人間ですから。



しかしながら、
どこかで線引きしなければなりません。



【凶悪】だと、共通認識の持てる犯罪・・・、
そして、その結果が、最悪の結末を迎えたら・・・



これは、誰がやっても、だめだよ。



病気でも、だめ!!