ラテンの血潮(個人の責任) | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

ラテンの血潮(個人の責任)

誰もいない、車も通らない赤信号。



横断歩道の信号は、『赤』



渡る!?



一般論で、かつ、比較統計ですが、
日本文化とラテン系の文化を受け継いでいる人で、
答えのマジョリティは、違うようです。



日本文化・・・渡らない
ラテン・・・・渡る



【mani】は、
どちらが、正解というふうには、
考えていません。



まず、以って、上記の統計を解析して、



日本人は、規範意識が高いとか、
日本人は、従順だとか、



という感じの結論を出してくる社会科学の学者さん!!



もう少し、勉強せ~~~よ!!



(-。-*)o



『渡る』人からは、こんな言葉を聞きます。



*・’°☆。.:*:・’☆’・:*:.。.:*:・’°:*:・’°☆*・’°☆。.:*:・’☆’・:


大の大人になって、大丈夫だとわかっているのに、
なんで、渡らないんだよ!



安全を守るためのルールで、あって、
ルールのためのルールでは、ない!!



大の大人が、全責任を自分で負うのだから、
人に、つべこべ、言われる筋合い・・・ない!!


*・’°☆。.:*:・’☆’・:*:.。.:*:・’°:*:・’°☆*・’°☆。.:*:・’☆’・:



ってね (*^-^*)



大の大人が、全責任を負って、
決めた判断に、周りは、一切干渉しない。



これが、ラテンの血潮、ラテンのリズム。



これは、



自分たちが『法』を作り上げてきたのだ!!



という、明確な自負心のある文化に立脚していますね。



その血潮に由来する限り、
『否定』は・・・、できないね!!



そして、



*・’°☆。.:*:・’☆’・:*:.。.:*:・’°:*:・’°☆*・’°☆。.:*:・’☆’・:


だいたい、ガキじゃ、あるまいし・・・



自分のことは、自分で、決めろよ!!


*・’°☆。.:*:・’☆’・:*:.。.:*:・’°:*:・’°☆*・’°☆。.:*:・’☆’・:



って、そこまで、突っ込まれます!!



(笑)



問題は、そう、言われて、
言葉を失ってしまう、『渡らない』人・・・



なぜ、自分は、渡らないのか!!
なぜ、それを選択しているのか・・・



それを主張するだけの、明確で、責任ある判断を
していないことが、確かに、多い。



ただ、ただ、
周りが、そうしているから・・・
それが、決まりだから・・・って・・・



(-。-*)o




えっ!?



おいら!?



おいら、渡らないよ(*^-^*)





セニョ~ル、セニョリ~タ!!



おいらの目には、
すべてが映し出されるわけじゃない!!



おいらの姿・・・



どこかで、誰かが・・・



そう・・・



まだ、満足な判断も、できない小さな子だって、
見ているかもしれないんだ!!



その子が、何かの拍子で、
おいらの真似をしたつもりで・・・



セニョ~ル、セニョリ~タ!!





訪れる(かもしれない)不幸から、
その子を・・・



守ってやれるのかい!?



俺の力じゃ、守れない・・・



だから、渡らないんだよ!!



もちろん、おいらは、
聖人君主では、ないから、
いろいろなファクターの中で、
渡ること・・・あるよ・・・実際。



杓子定規じゃ・・・ない (*^-^*)



それでも、車の通らない、誰もいない信号で・・・



待てている俺の方が、かっこいいな・・・