どうして20歳からおとな?
どうして20歳からおとな?
小学4年生の娘からの質問、
『ひとは、いつから、おとなになるのか』
に、続いてきた質問。
文章にまとめるため、
回答は、翌日回しとなった(笑)
*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆
今の日本では、
被選挙権(ひせんきょけん)を除(のぞ)くと、
すべての市民的権利(けんり)と義務が、
満年齢20歳で、
すべての人に与えられる。
つまり、
自分の心と体と行動(と財産も)を
法(ほう)と正義の下(もと)で、
すべて自分で管理する権利と義務が与えられる。
『おとな』になるのだ。
法と正義の下である理由は、
この権利は法と正義の下でしか存在できず、
また、庇護(ひご)されないものだからだ。
法と正義の庇護がなければ、
弱いものは強いものに踏み潰されてしまう。
自分が不当に踏み潰されないためにも、
法と正義の下であることを
強く認識(にんしき)して、
『おとな』の権利を行使(こうし)しなければならない。
もっとも、
この法と正義は、
最低限、民主主義の下でしか、
正しく機能しない。
民主主義でしか、
法と正義を正しく護(まも)ることが、
できないということだ。
この民主主義というシステムも、
『最高!』とは言い難(がた)いが、
確実に言えることは、
今のところ他のシステムよりは『マシ』
ということだ。
前述(ぜんじゅつ)の権利と義務によって、
『まだ、小さいから』と、言って、『だめ!』
と、言われることも、なくなるが、
まだ小さいから、『しかたない』
と、許されることも、なくなる。
また、このくらいの年齢までで、
自然な肉体的成長が、ほぼ終わりを告げ、
精神的には、
個々人(ここじん)の価値(かち)基準(きじゅん)の大もとが
固まってくる、
と、考えられている。
人間は、その後も、精神的に、
どんどん成長を続けていくが、
自分が生きていく上で、何を大切にしていくか、
という価値基準の根本(こんぽん)は、
この頃までに受けた教育や生活環境に基(もと)づく経験を通して、
かなり固まってきており、
その後の生き方に大きく影響を与え続ける。
『人生』は変遷(へんせん)をし続けるが、
『生き方』は、この頃までに、ほぼ決まるということだ。
勿論(もちろん)、例外は存在し続けるが、
個々人の『生き方』が、そろそろ固まってきた、
このころを以(も)って、一人前の『おとな』
と定(さだ)めたものだ。
それ以降は、
その人にとって、『大事件』が起こって、
人生を丸ごと、変えてしまうような衝撃(しょうげき)を与えられないと、
そのころのままの価値観に流され、過ごしてしまいがち・・・
変わる勇気のない人は、
もう、変わらないかもしれない年だと、
考えられているのだ。
結果!!
行動の責任は、甘んじて受けろよ!!
もう、他人が、易々(やすやす)と、
『お前』に影響を及ぼすことは、できないのだから。
と、言うこと。
もちろん、『大事件』
本当は、起きる・・・・起きている・・・
それを見つける目。
今から養(やしな)っておけ!!
キーワードは、『素直』だぞ!!
小学4年生の娘からの質問、
『ひとは、いつから、おとなになるのか』
に、続いてきた質問。
文章にまとめるため、
回答は、翌日回しとなった(笑)
*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆
今の日本では、
被選挙権(ひせんきょけん)を除(のぞ)くと、
すべての市民的権利(けんり)と義務が、
満年齢20歳で、
すべての人に与えられる。
つまり、
自分の心と体と行動(と財産も)を
法(ほう)と正義の下(もと)で、
すべて自分で管理する権利と義務が与えられる。
『おとな』になるのだ。
法と正義の下である理由は、
この権利は法と正義の下でしか存在できず、
また、庇護(ひご)されないものだからだ。
法と正義の庇護がなければ、
弱いものは強いものに踏み潰されてしまう。
自分が不当に踏み潰されないためにも、
法と正義の下であることを
強く認識(にんしき)して、
『おとな』の権利を行使(こうし)しなければならない。
もっとも、
この法と正義は、
最低限、民主主義の下でしか、
正しく機能しない。
民主主義でしか、
法と正義を正しく護(まも)ることが、
できないということだ。
この民主主義というシステムも、
『最高!』とは言い難(がた)いが、
確実に言えることは、
今のところ他のシステムよりは『マシ』
ということだ。
前述(ぜんじゅつ)の権利と義務によって、
『まだ、小さいから』と、言って、『だめ!』
と、言われることも、なくなるが、
まだ小さいから、『しかたない』
と、許されることも、なくなる。
また、このくらいの年齢までで、
自然な肉体的成長が、ほぼ終わりを告げ、
精神的には、
個々人(ここじん)の価値(かち)基準(きじゅん)の大もとが
固まってくる、
と、考えられている。
人間は、その後も、精神的に、
どんどん成長を続けていくが、
自分が生きていく上で、何を大切にしていくか、
という価値基準の根本(こんぽん)は、
この頃までに受けた教育や生活環境に基(もと)づく経験を通して、
かなり固まってきており、
その後の生き方に大きく影響を与え続ける。
『人生』は変遷(へんせん)をし続けるが、
『生き方』は、この頃までに、ほぼ決まるということだ。
勿論(もちろん)、例外は存在し続けるが、
個々人の『生き方』が、そろそろ固まってきた、
このころを以(も)って、一人前の『おとな』
と定(さだ)めたものだ。
それ以降は、
その人にとって、『大事件』が起こって、
人生を丸ごと、変えてしまうような衝撃(しょうげき)を与えられないと、
そのころのままの価値観に流され、過ごしてしまいがち・・・
変わる勇気のない人は、
もう、変わらないかもしれない年だと、
考えられているのだ。
結果!!
行動の責任は、甘んじて受けろよ!!
もう、他人が、易々(やすやす)と、
『お前』に影響を及ぼすことは、できないのだから。
と、言うこと。
もちろん、『大事件』
本当は、起きる・・・・起きている・・・
それを見つける目。
今から養(やしな)っておけ!!
キーワードは、『素直』だぞ!!