何で、時効なんて、あんのさ!!
米国では、凶悪犯罪の時効は、
なかったように思います。
時効は、
【権利の下に居眠りをする者を救わず】
という、
民主主義の原則に基づき、
民法においては、原告の自己責任を要求しています。
以って、社会の円滑な展開を促しています。
刑法においては、
統治者が、主権者に対し、
【関わるべき優先順位】の規定、
とも言えるでしょう。
要するに、刑法では、
早い話、
利害関係人が減少し、
被害者の被害感情が、薄れ、
物的証拠に基づく、厳格なる加害証明が、
困難になった際には、時効と、なります。
上記を規定する基準として
【時】の経過以外の要素を加えては、
公平性を保てない、と判断しているのが日本です。
凶悪性についても、公平な基準を決めかねて、
結果、すべての犯罪に、時効が適用されています。
統治者が、主権者のために、
【なすべきこと】は、
常に、主権者の【関心ごと】であり、
【解決】できること。です。
どこの国でも。
米国は、凶悪犯罪に対する被害感情は、
薄れにくいと考えているのです。
そして、殺人は、凶悪性の多寡や理由を問わず、
被害感情は、薄れないと、考えているのです。
いえいえ、むしろ、
『薄れさせるべきではない。』
と、考えているのかもしれませんね。
日本の裁判は、厳格主義です。
凶悪な傷害罪と、情状酌量の余地のある殺人と・・・
どちらを、凶悪と規定するのか、
自分では、何も決められないのが、
良く言えば、厳格で繊細な、
悪く言えば、主体性のかけらもない
Very JAPANESEの性格。
アメリカとの違いが出るのは、そこ。
どんなときでも、どんなことでも、
周りと違っていても、
自分で、『正しい』と判断して、
自分で結果責任を取るつもりなら、
どんなことでも、自己判断。
つまり、自分で、決めるか、決めないか。
自分で、決められないから、
誰にも動かすことのできない、
【時】に、全責任を負わせて逃げる。
西洋法体系が、優れているとは、申しません。
しかしながら、日本の法曹界。
あまりにも、不勉強で、事なかれ主義。
自分で、ルールを決められないのは、
公平なルールを作る訓練をしてこなかったから。
そして、自分の中に、信じる道さえあれば、
今から訓練したって、遅くはないさ。