ルールの肝 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

ルールの肝

ルールって、そのルールが、なくなればいい。

と思って、作られたルールでなければ・・・

というけれど、本当ですね。

ルールを作ると、

ルールの限度いっぱいまで、

『ルール内だから、いいじゃん』

という輩が、多く、

周囲やルール作成者は、趣旨を伝えられず、

苦々しい思いをするもの本当のところ。

結果、『善良なる公民』にとっては、

不快感を感じるようなルールができてしまったり・・・

なんとも、まあ・・・

『中くらい』『ほどほど』という、

程よいバランスが取れない輩が多い。

そして、これは、両方に、言えそう・・・

ルールを作る側にも、

作られる側?にも・・・・・

それにしても、『小中学生の携帯電話』

新聞社の主張は、

『禁止する』とのルールに迎合しながら、

『ルールを教えるべきだ』という・・・。

ちょっと、待って・・・

その場合、『ルール』は『禁止』なんだから、

『禁止』と教えるだけで、いいはず。

民主的ルールに則って、

『禁止』されたことは、『やらない』

その上で、

そのルールに違和感を感じたら、

静かなる請願権を行使する。

教えることは、ここから!!

ルールが適用されない特殊な場合は、

どんな時で、それは、なぜなのか、も、

まず、

『ルール』を守れば、

ルールを作った側が、

ルールを守るあなたを守ってくれるのだ!!

ということを、理解させてからで、いいと思う。