『にわとり』と『卵』 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

『にわとり』と『卵』

前日の記事が、稚拙であった結果、

研究は『役に立つ』ものであるべきである。

という言葉に、誤解も生じているかもしれないので、

もう少し、書き込ませてくださいね。

前回の記事にも、書きましたように、

研究が、すぐに、役に立つ必要なんて、

断じて、ありません。

研究者の『知的好奇心』に依存するだけで、

十分です。

だって、誰か、ひとりでも、

『知的好奇心』を持ち得る対象であれば、

はっきりと、下記を想像できるから (*^-^*)

積極的に、根気よく、対象を研究する、

学者としての先駆者的勇敢さを持ちきれず、

自らの人生をその研究への投資に踏み切れない、

たくさんの人が、

その後ろに、控えているであろうことを。

研究者本人の『好奇心』は、

世の人々の『好奇心』です。

世の中は『ワクワク』に向かって収れんされます。

『ワクワク』=『夢』

ですから。

はからずとも、

いつか、役に立つ日が、きます。(笑)

私が、前回の記事(『学者の役目』)で書きたかったことは、

学者が社会を進歩させているのではなく、

実社会自体が、その夢を追う中で、

自立的に、社会を進歩させているということ。

学者は、

その社会の実態を理論的に研究して、

人に説明できるようにして、

自らだけでは、

そこには到達できなかった人に、

到達の機会を与え、

次の『実社会自らの進歩』を促す。

そういう役目を帯びている、

と、感じているということです。

たとえば、スポーツ科学。

優れた科学に基づいて、

優秀なスポーツ技術を持ったプレーヤーが

誕生しているのでは、ありません。

優秀なプレーヤーを『分析』してみたら、

他のプレーヤーとの違いが、科学的に発見されて、

それと同じ、思考回路、身体の使い方をすれば、

同じことが、他のプレーヤーにも出来るということが

わかっただけ。

そして、他のプレーヤーが、

それをDUPLICATEしてみたら、

その選手が持っていた別の潜在能力が発揮され、

また、さらに、優秀なプレーヤーが現れ、

またまた、それが研究、分析されて、・・・

これが、ひたすら、続いているだけ。

俗に言われている、『にわとりと卵』ですが、

『にわとり』と『卵』は、

ダーウィンの進化論を『正』とすれば、

絶対に『卵』が先です。

一度、世に誕生した遺伝子は、

その生涯を終えるまで、変化しないから。

外的要因によって傷つけられた遺伝子による障害は、

化学薬品や、自然災害の中で、発生し、

次世代の遺伝子にも影響を与えることとなりますが、

環境が回復すると、

その遺伝的変化は、環境に不適応となるため、

『途絶える遺伝子』と、なってしまうことでしょう。

環境の変化に適応するために、

これに順応して、生き残るために、変化したもの。

同じ環境の中に棲む生き物の中で、

変化できたものだけが、生き残っただけですね(*^-^*)

時系列的な太い流れを俯瞰すれば、

種の進化は、遺伝子の突然変異によるもの。

『にわとり』ではない生物が、

『にわとりの卵』を産んでしまったのよね(笑)

ある日、

おサル(遺伝学的に、人間の直前生物を想像してくださいね)が

人間を産んだのであって、

『おサル』に生まれた『おサル』が、

大人になって、人間になるわけではありません。

学者と実社会の関係も、

これと同じで、実社会が『先』

自然科学も、社会科学も、

『大自然』、『人間という生き物の群社会』

で起きた現象を、後追い研究して、

論理的に、学問として纏め上げただけ。

人間社会も含めた大自然の先を行く・・・

わけがありません (笑)

だから、実社会(大自然)が、当然、『先』!!

だと、私が信じているだけ(笑)だけれど(笑)

追伸

そして、もちろん、

科学的には『卵が先』だとしても、

堂々巡りを意味する、

『にわとりと卵』の『喩え』のすばらしさは、

いささかも、その輝きを失わないことも、

はっきりと、感じています。

もう、既に、ダーウィンもニュートンも、

進化論も万有引力の法則も、

綻びを見せ始めていることだし・・・ (*^-^*)