『誰もが忘れてしまっても』 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

『誰もが忘れてしまっても』

偉大な選手の引退も、

名もない選手の引退も、

どちらも、引退の引き金は、

本人にとっては、

思い出深いものだと思います。

どんな人生の中のどんな『引退』にも、

きっと、ストーリーが、あるはずです。

引退のタイミングは、

そのストーリーを待てば、いいのでしょう。

自分の心に響くストーリーが、

引導を渡してくれます。

きっと・・・・・

私は30代半ばまで、

ラグビーをやっていました。

草ラグビーの試合に呼ばれて、

『メンバー足りないから~~』

って言われて、

『用があるから・・・』

と、断っていたのですが、

『しょうがない、行くか・・・』

ウォームアップして、

メンバー発表を聞いたら、

私の名前なし・・・(--*)o

娘が、ちょうど、

物心ついてきた頃だったので、

連れて行っていました。

実は、彼女にとっては、

父親のプレイの初観戦日でした・・・。

私も、タッチライン際で、

ゲームを見ていましたが、

『下手な試合』なのよ、これが・・・

『あ~、俺は、このレベルのゲームにも出られないんだ~!』

って、思った時、

『もう、2度と・・・・・』

と、思いました。

あれから、一度も、スパイク

履いていません・・・

その人なりの『ストーリー』が、

いつ来るかだけだと、思っています。