学歴社会
江戸時代までの日本は、
人材登用方法として、
公然と、
門閥制度を主とし、
能力主義を従として、
憚りませんでした。
明治維新後、
公然たる門閥制度には、
一応の翳りが見え、
出自の制限なく、学歴さえあれば、
誰でも、社会のリーダーとしての
活躍の場を、『一度は』、与えられました。
結果として、
多くの、勤勉で、志の高い人が、
貧乏人の子供であっても、
『世に出る』機会を与えられ、
『それ以前とは』、
比べ物にならないほど公平な競争のもと、
『能力主義』になりました。
言わば、金も血筋もない人でも、
志を持って精進すれば、
『志』≒『勤勉な努力家』≒『能力』≒『学歴』
と、すべてが、ニアリーイコールで結ばれ、
『リーダーの資質』と『学歴』の蜜月期を形成できた。
と言えるでしょう。
問題は、ここからですね (*^-^*)
日本は、公平に、なりすぎちゃった。
つまり、公平に、なりすぎてしまって、
『学歴』を手に入れるのに必要なものが、
テストの点数だけで、よくなっちゃった。
テストの点数は、
いい塾に通わせられる親の器量があると、
かなり、自動的に、ついてきちゃう (笑)
『志』!!
いらないのよ。
みんな、それなりに、生活できているから、
『志』を持った『苦学生』なんて・・・、
『いない』とは、言わないけれど・・・の率に、
なってしまいましたね。
そして、
ゆるぎない金と力を持った、
『RICH』と言われる階層も、
絶滅しちゃった・・・。
これによって、
『学歴が2番』でも、
『見込みがある』からと、
一足飛びに階段を駆け上るチャンスが
なくなりました。
全責任を持って、
引き上げてくれる人がいないから。
その『引き』が、失敗で、
結果責任を取っても、
まだ、『RICH』で居られる、
大金持ちの階層が、いないから。
日本の社交界は、20年経つと、
人間が、ガラッと変わってしまいます。
大企業のサラリーマン社長、会長たちが、
構成メンバーだから・・・
彼らは、会社や業界では、
威張っているけれど、
会社の業績が悪化すれば、
辞めなければならない人。
10年後には、そこに、いない人。
人事的冒険は、できません。
領主は、
至るところで搾取しながら、
至るところで引き上げる。
と、言いますが、
日本の社会の領主たるべきリーダーたちには、
自分の意志で、
優秀な丁稚小僧を引き上げて、
力を発揮できる立場に据える器量は
ありません。
だって、
自分の進退をかけなければならないから。
失敗したら、彼ら自身が『THE END』だもん。
なんでも、『会議』にかけて、
『合議制』という、『天下御免の合言葉』を胸に、
誰も、責任を取らなくていいシステムを構築しました。
ある意味で、『スゴイ』(笑)
実は、揺るぎない『RICHMAN』が
社会に存在すると、世の中は、活性化するのです。
今の日本の閉塞感は、
平等すぎるから・・・。
努力が実を結ばない。
リーダーの誰もが、
野に咲く花には
手をつけようとしない、
ないしは、できないのに、
世の中の風潮だけは、
スペシャリストに、さえ、なれば・・・
道は、開けるかも・・・
と、甘いささやき・・・(笑)
社会での『スペシャリスト』は、
その大半が、『フィギュアスケート』型。
点数は、『審査員』が、決めるのよ。
タイムで決まる『陸上競技』型のスペシャリストは、
社会には、ほとんど、存在しません。
パティシエ。
美容師。
歌手。
ダンサー。
ぜ~~~んぶ、審査員の主観で決まるのよ!!
金メダル。
少々の『評価ミス』をしたって、
明日も、間違いなく、
『審査員』をやっていられるだろう人。
これが、日本には、いないのだから、
『スペシャリスト』に、なったって、
日本じゃ、道は、開けない。
審査員自身が、自分のクビのことばかり、
考えなくてはならないのだから、
『独自色』なんて、出せるもんですか!!(笑)
自分よりも社会的評価の高い審査員の選んだものを
踏襲するだけよ(笑)
あっ、唯一、いたわ、『審査員』!!
『テレビ局』だ!
大爆笑だけれど、とても、悲しい。