『経験』に『判断』を惑わされない方法 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

『経験』に『判断』を惑わされない方法


『経験』

経験どおりには、行かないことが、

たくさんあって、

予想通りには、行かないことが、

たくさんあって、

『こうしたら、こうなった。』

ではなくて、

『こうしたら、こうなるつもりが、こうなった。』

ということも、たくさんある。

これを、『経験』とすべきだろうな。

ということ (*^-^*)

『こうしたら、こうなった。』

を、経験にしてしまうと、

『こう、ならなかったときに』

『想定外です~~』

って、なるから。

『こうしても、こうならないこと』が

『いっぱいある』

自分の順番のときには、

たまたま、『こうなった』だけ。

『こうしたら、こうなった。』

を、『経験』にしてしまうと、

ひとりの『過去の経験』なんて、

『たまたま』に過ぎないことを見逃してしまう(笑)

だから、

『こうしたって、どうなるかは、わからない。』

が、『ミクロ』では、正解。

まさに、『賽の目』

だから、何でも、やってみること!!

それを、たかが何十年か生きてきただけで、

『経験から言うと~』、と思うから、

秋山真之のいうところに

『船底につく牡蠣殻』

になっちゃうのよ!

私たちの『ケ・イ・ケ・ン』