どうして20歳からおとな? | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

どうして20歳からおとな?

どうして20歳からおとな?


これは、前回の記事でアップした、
小学4年生の娘からの質問、


『ひとは、いつから、おとなになるのか』


に、続いてきた質問。


文章にまとめるため、
回答は、翌日回しとなった(笑)


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今の日本では、
被選挙権(ひせんきょけん)を除(のぞ)くと、
すべての市民的権利(けんり)と義務が、
満年齢20歳で、
すべての人に与えられる。


つまり、
自分の心と体と行動(と財産も)を
法(ほう)と正義の下(もと)で、
すべて自分で管理する権利と義務が与えられる。


『おとな』になるのだ。


法と正義の下である理由は、
この権利は法と正義の下でしか存在できず、
また、庇護(ひご)されないものだからだ。


法と正義の庇護がなければ、
弱いものは強いものに踏み潰されてしまう。


自分が不当に踏み潰されないためにも、
法と正義の下であることを
強く認識(にんしき)して、
『おとな』の権利を行使(こうし)しなければならない。


もっとも、
この法と正義は、
最低限、民主主義の下でしか、正しく機能しない。


民主主義でしか、
法と正義を正しく護(まも)ることができないということだ。


この民主主義というシステムも、
『最高!』とは言い難(がた)いが、
確実に言えることは、
今のところ他のシステムよりは『マシ』ということだ。


前述(ぜんじゅつ)の権利と義務によって、
まだ小さいからといって『だめ!』
と言われることもなくなるが、


まだ小さいから『しかたない』
と許されることもなくなる。


また、このくらいの年齢までで、
自然な肉体的成長がほぼ終わりを告げ、


精神的には、
個々人(ここじん)の価値(かち)基準(きじゅん)の大もとが
固まってくる、
と考えられている。


人間は、その後も精神的にどんどん成長を続けていくが、
自分が生きていく上で、何を大切にしていくか、
という価値基準の根本(こんぽん)は、
この頃までに受けた教育や生活環境に基(もと)づく経験を通して、
かなり固まってきており、
その後の生き方に大きく影響を与え続ける。


『人生』は変遷(へんせん)をし続けるが、
『生き方』はこの頃までにほぼ決まるということだ。


勿論(もちろん)、例外は存在し続けるが、
個々人の『生き方』がそろそろ固まってきた、
このころを以(も)って一人前の『おとな』
と定(さだ)めたものだ。