ひとは、いつ、おとなになるのか | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

ひとは、いつ、おとなになるのか

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ひとは、いつ、おとなになるのか


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ひとは、いつ、おとなになるのか


上の娘が小学校4年生のときに、
尋ねてきた。


3時間、自分と向き合って、
次のように答えた。


小学校4年生向けだったので、
ルビは、ご愛嬌。


内容は、今、彼女が、わからなくてもいい。
大人になって、思い出せば、それでいい。
と思い、綴ったもの。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


自分の都合が判断基準に反映(はんえい)しなくなった時。


法と正義を基準に行動できるようになった時。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


勿論、人間が生き物である以上、
自(みずか)らの生命・人体に危機を感じる場合だけは、
自分の都合を優先させることを以って、
おとなであることは否定(ひてい)されない。


これは法や正義でも許容(きょよう)していることであるが、
視野(しや)の狭(せま)いものは、すぐにこれを忘れる。


それに比べれば些末(さまつ)なことにあたる、
地位や名誉(めいよ)や財産、面子(めんつ)などは、
判断基準に反映するな。


特に自分のそれらは。


本来、地位や名誉や財産、面子など、
おとな以外が持つべきものではない。


『おとな』だからこそ、
地位や名誉や財産などが、
備(そな)わる社会でありたい。


これは理想論(ろん)過(す)ぎるか。


しかし、
ひとたび生活の全てを投げうってでも
正義を通した人を見たら、助けてあげよう。
少なくとも、骨を拾ってやろう。


また、ここでいう『法』とは、
過去(かこ)数百年の常識を鑑(かんが)みたもの、
『正義』とは、今、この地における良識の集合体でありたい。


今の日本では
被選挙権(ひせんきょけん)を除(のぞ)くと、
すべての市民的権利(けんり)と義務が、
満年齢20歳で、
すべての人に与えられる。


これには賛成(さんせい)するが、


これを以って、
『おとな』とするは
甚(はなは)だしき悪(あく)平等(びょうどう)と心得(こころえ)よ。