「自販機の横には分別の回収箱を」を読ませていただいて | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

「自販機の横には分別の回収箱を」を読ませていただいて

2003年10月7日の読売新聞の「気流」欄に
「自販機の横には分別の回収箱を」


という記事があった。


子供の純真な目から見て、
自動販売機のまわりに散乱する空き缶をみて、
「自販機の横には分別の回収箱を」
と思われたのであろう。


すばらしい子供である。
未来に、明るさを感じる。


ただし、社会を運営していく『技術』は
全く欠落している。


当たり前ではあるが。


よって、当事者として、
下記の投稿をさせていただいた。


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私は家の前に自販機を置き、管理をしている者です。


管理者としても、一消費者としても、思います。
本当に記事のようにしてやっていける日が来るといいですね。


でも、私のところでは、一切の回収箱を設置していません。


理由をあげます。


多くの善良な方々が分別してくださっていても、
わずかな心ない者の
残飯、たばこ、電池、ゴムぞうりなどの投げ入れによって、
全てが不衛生なゴミと化してしまう。


上記を再度分別するだけのインフラは、
零細の小売店頭管理者のためには用意されていない。
(自前でやるだけの経費も粗利の中には想定されていない)


火をきちんと消していないたばこを投げ入れられて、
ボヤが起きた。 という事実。


割れたガラスを入れられて、回収の際に大怪我をした。
という事実。(被害者が、従業員でなく、私で、よかったが)


これらの危険を冒してまで
ゴミ回収箱を設置、回収をしていることに
世間様の理解(感謝の念)は得られていない。


全てがゴミになるくらいなら、
善良なる方が購入なさったものだけでも
リサイクル等に回ったほうが良いと考える。


などです。


結果として、心ない者が、
自販機の前に空き缶等を置き去りにしていきますが、
気が付くたびにこちらで回収してリサイクルに回しています。


心苦しいのですが、
どこか、遠くで、
ポイ捨てされていることもあるのでしょう。


一消費者としては、
近くにあり、便利に利用できる自販機ですが、
ポイ捨てに対し、
法的に厳罰をもって処しても、目に余るようであれば、
自販機は、その社会において存在できないものとなるのでしょう。


まずは


ポイ捨てに対し、法的に厳罰をもって望めるように法改正をする。


危険で、継続可能な開発型社会にも反するので、
自販機の脇には回収箱を置いては『いけない』。


そのかわり、一日に数回、
店頭巡回、ごみ回収ができない場所には
自販機設置を認めない。
(これで、実は多くの自販機が、『撤去』となることは、
 想像できるでしょうが)


リサイクルゴミをきちんと分別して出す市民や企業の負担減、
循環できないゴミを出した市民や企業の負担増。


などのルール(上記はたいへん大枠ですが)を
作っていかなければなりません。


それでも駄目な社会なら、
販売者としては辛いことですが、
自販機は社会変化への対応に遅れ、
使命を終えたものと判断せざるを得ません。


皆が便利に商品を手にすることができる世の中を維持するためには、
上記のルール以外にはないと信じています。


よい世の中になって欲しいものです。


そのために現場を知る者としての私ができることとして、
これを提案します。


気流に載せられる文字数でないことは、
充分承知の上、信じるところを述べました。


貴紙の所見だけでも伺いたいものです。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


と。


約4年の歳月が流れたが、
読売新聞は、一度も、『所見』を表明してこない。


読売新聞に関わる方が、いらっしゃって、
不愉快な思いをなされるかもしれないですが、
あえて、申し上げます。


知識も知恵も情報量も、たいしたものなのでしょうが、
たいしたことのない人の集まりに、みえますよ!


と。


反論なら、聞いてみたい。