世界中何処にいても、不思議な出来事は起こるものですが、私が今まで経験した、
生涯忘れることがないと思われるような出来事や出会いの多くはインドで起こる、
といっても過言ではありません。

 

今回は、私がケララで出会った、ある日本人女性の話を書こうと思います。 

 

去年の5月、アユルベーダの医師であるケララの友人の結婚式に出席するために、

週末を挟んで数日休みをとり、プネからケララに行きました。

友達の家は、私の大好きなバルカラから車で約20分ほどの村の中にあるため、遊びに
行くときは、いつも1,2泊は友達の家にお世話になり、その他の時間の許す限りは
バルカラで過ごしてます。

 

バルカラに遊びに行くと、まず私が16年前に初めて訪れて以来の友人達のお店に顔を
出しに行くのですが、その友達の一人から、

「最近バルカラに長く滞在している日本人女性がいて、毎日この道を通るから、
 いつも声をかけるんだよ。君のことも話しておいたよ。」

と、聞かされ、

「ふーん、そう。」と、そのときはいつも通り軽く流していました。

 

 

その次の日に、またその友達のお店に遊びに行って、店の前でお喋りをしていると、

「ほら、あの人だよ!」

と、友達がビーチから歩いてくる一人の女性を指さしました。

 

シルバーグレーのショートヘアと同じ色の瞳を持つその女性は、母よりも年上とは
思えないほど、華奢で小柄ながらも筋肉質で無駄のない体形で、静かなオーラを
纏った、人を威圧することはなくとも、邪気を寄せ付けないような力強いエネルギー
を持つ人でした。

その時は軽く挨拶を交わし、特に何の約束もなくその場は終わったですが、その後、
結婚を控えたアユルベーダ医師の友達と、夕方ビーチを散歩していると、またその人に
ばったり出会ったのです。

(以下ではA子さんと呼ばせていただきます。)

毎日ビーチを散歩しながらごみ拾いをしていたA子さんが、ちょうど宿に戻るタイミング
でした。友達を紹介し、ビーチで3人で立ち話をしていた時、A子さんにふと、
「ちょっとあなたの手を触らせて。私、いろいろと見えるのよ。」

と、言われたので、少し緊張はしたものの、言われたとおりに私の両手をA子さんの両手に
委ねました。

「あなた、すごく守られているわね。とても良いエネルギーを持っているわよ。」

 

なんとも嬉しいお言葉を頂きました。

 

それを見て、

「じゃあ、僕のも」

と、友達が自分の両手を差し出すと、その女性の顔が強張り、

「いや、あなたは無理。触りたくない。」
完全拒絶・・・・。 

(その時の彼は、望んでいなかった結婚を間際に、色々とナイーブだったせいもあると
 思いますが、確かに友達はちょっと不のエネルギーを溜め込むタイプ)

 

そして、いかにバルカラには他にはない良いエネルギーが流れていることに同意をし、
私にとってバルカラがどうしてこんなにも癒しの場所である理由を再確認した後、A子
さんとはそこで別れました。

 

 

その次の日のお昼、そんなにお腹は空いていなかったのですが、バルカラにいる間に
いつも一度は食べに行くお気に入りのお店に足を運びました。

一人でミールスを食べ、チャイを頼んでぼーっとしているところに、なんとそのお店
にA子さんが入ってきました。
「あら、また会ったわね。ご一緒していいかしら?」

そう言って、A子さんは私の向かいの席に着きました。

 

その時に初めてお互い自己紹介をきちんとして、今までの経緯とお互いの人生について
語り合いました。

 

「私ね、いつもこういうものを持ち歩くことはないのだけど、なぜか今日は持って
 歩いているのよ。」

そこでA子さんが鞄から大事そうに取り出し、私に見せてくれたものは、彼女がビーチを
歩いていた時に、波打ち際で彼女の足元に流されてきたという、シバ神が施された古い
インドのコインと、ハートの形のローズクオーツ。

 

「最初にね、このコインを見つけて拾ったの。そうしたらその後でこの石が私の足元に
 流れて来たの。私ね、シバ神からこの石が送られてきたのだと思ったのよ。それでね、
 今わかったの。どうして私が今日この石を持ってきたのかってことが。
 あなたにあげるためだったのね。」

 

そう言って、A子さんは何のためらいもなく、奇跡的にA子さんのもとに流れ着いた石を、
出会ったばかりの私にくれたのです。

 

「大丈夫、すぐにいいご縁があるから。」

失敗の多い私の恋愛話にも、優しく耳を傾けてくれました。

 

お互い名刺なんてものは持たないタイプな上、A子さんは携帯電すら持っていなかったので、
とりあえず、その場にあった消えそうなペンで私のEメールアドレスを紙に書いて渡しました。
その時はまた偶然会える思っていたので、次の日の出発前にまた改めて連絡先を交換するつもり
でいました。しかし、結局そんな偶然は起こらず、その日以来A子さんとは会っていません。

 

今、A子さんが何処でどう過ごしているのかはわかりませんが、私に話してくれた通りの道を
歩み続けていると信じています。

 

A子さん、基インドの神から授かったとも言える石を手にし、A子さんのことを思い出すと、

悲しみではないにせよ、いつも涙が出そうになります。

 

私が彼女との出会いを一生忘れることも、私とA子さんの実体を超えた繋がりが消えることも
無ないでしょう。

 

 

東京に戻ってきて、最初の1週間は本当に暖かく、快晴な日が続いていました。

 

外国から帰ってきたための隔離、というよりは、クレジットカードも銀行のカードも

再発行待ちな私は、お金がないために出かけられない、という理由の方が大きかったの

ですが、ちょうど日本国内も自粛モードが高まっているし、なぜか特にどこかに行って
何をしたい、という気持ちもわかないので、電車に乗らない、家族以外の人と会わない

この今までの人生にに無いくらいののんびりとした生活を楽しんでもいます。

 

毎日近所を散歩して、色鮮やかな日本の春の花々を愛で、楽しんでいます。

 

それ以外の私の日課はというと。

 

久し振りの ” 料理 ” 。

 

もちろん、インドの生活でも毎日自炊をしていましたが、やはり一人暮らしだと、

自分のためには簡素なものしか作らず、あまり「料理をした!」という達成感も、

人と共有しないがために、満足感もイマイチ。

 

日本にいるときは、平日含め毎週末友達に料理を振舞っていた私、日本ではしばらく

友達との楽しい時間を過ごすには、まだまだ時間がかかりそう・・・。

 

なので、スパイスやエスニック料理が大好きな、私の母と姉夫婦に、毎日せっせと

料理やお菓子を作って過ごしています。

 

帰ってきてすぐに姪っ子の誕生日だったので、トルコ料理を作ってお誕生日会。

 

メインはチキンとビーフの2種のケバブに、ヨーグルトとトマトのソース。

 

そして、私が作れるMezesの中でも特に好きなのが、Baba Ghanoushと、

Mucve、そして全粒粉とセモリナ粉でピタも作りました。

 

Cavaで乾杯して、久しぶりに家族との豪華な夕食。

 

どの料理も大好評でした☆

 

特に強いスパイスを使わないトルコ料理は、3歳になる姪でも美味しく食べられたようです。

 

こっちの方がメインですが。

 

今までもこの先もあるかないかわからない(少なくとも私の人生の中で)規模の
大きい世界的な伝染病蔓延、各国の鎖国体制、日々の生活においての自粛要請。

まだまだどう変わっていくのかわかりませんが、暖かい寝床があり、食べるものや
着るものに困らず、ともに時間を過ごす家族がいるこの環境は、本当に贅沢で幸せな

ことだということを、日々実感しています。

 

そして、健康でいられること!

 

何よりも、気持ちが健やかでいられることが一番大事なことですね。

 

こんな展開になって、外国帰りの私を隔離もせずに一緒に生活してくれている家族に

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

こんな中でも、美味しいワインとラムチョップでの夕飯。

本当に日本は最高ですね。

 

皆さまも、お身体にお気をつけて、制限はされど、小さな楽しみと幸せのつきない
日々の生活を楽しんでくださいね。

 

 

 

 

友達がホテルまで送ってくれ、切ない別れの挨拶を交わしたあと、

悲しみに沈む暇もなく、出発に向けてホテルの部屋でパッキングを開始。

 

最後に湯船に浸かって気持ちを落ち着かせ、カード会社から電話がかかってくるまで

仮眠を取ろうと思ったのですが、気持ちが落ち着かず、なかなか眠れません。

 

うとうとしかけたところに、午前1時半過ぎに携帯電話が鳴りました。

 

「客様のクレジットカードが偽造された可能性があります。」

 

思っていもいなかった事を聞かされ、かなり動揺。

 

「数日前に、タイとアメリカでお客様のカードを誰かが使おうとした情報があります。

 そのため、こちらの判断でサービスを停止いたしました。」

 

さらに動揺・・・。

 

「これからホテルの支払いもしないといけないし、トルコに2週間滞在する予定なん
ですけど・・・。他のカードの現金もないので、すごく困ります。」

 

と、訴えてみましたが、

 

「かなり危険な状態です。このまま使い続ければ、イギリスでも偽造されている
可能性もありますし、トルコでも偽装されてしまう可能性があります。
そうなると今後はもうお客様の責任となります。」

 

決定的です・・・。

 

特別にお願いをして、ホテルのチェックアウトの時だけカードを使えるように
してもらいましたが、こそからは、もうタクシーに使う20ポンドがあるのみ。

 

失敗が許されない移動のため、さらに緊張して結局ほとんど眠れず。

 

朝の5時半きっかりに迎えに来たタクシーで、チケットに記されている駅に
向かいました。

着いたのはギリギリな上に、行先とは反対側のホームで降ろされため、
スーツケーツを担いでダッシュで反対側のホームへ。
(無人の小さな駅な上に、駅の中に渡る通路も無し)

 

幸い1人同じホームに同じ電車に乗ると思われるおじさんがいたため、
方面が合っていることを確認できました。そして、数分たたないうちに
私が乗るべき電車が到着。

さらに運転士さんに確認をして、電車に乗り込み、やっと一安心。

1度の乗換もスムーズで、Googleの示したスケジュール通りに無事に
マンチェスター空港に着きました。

 

その時には、もうトルコ滞在をキャンセルをして、日本にそのまま帰る
ことを決めていたので、すぐにトルコ航空の窓口に向かいました。

ホームページに出ていた通り、このコロナウィルスの影響で、フライト
変更が無料でできました。

マンチェスターを朝の11時に出て、イスタンブールに18時に着き、

イスタンブールからその夜の午前2時の便に席が確保できました!

 

マンチェスター空港では、余った10ポンドでコーヒーを飲んで一息

つくことができましたが、成田の5倍の規模はある、数えきれない
お店やレストランが入った、巨大ショッピングモールのようなイスタン
ブール空港では、待ち時間6時間を虚しくすごしました・・・。

でも、飛行機ではワインと映画を楽しみ、上機嫌。

トルコ航空、快適で私は好きです。

 

「今日本に帰ってきたら、空港でチェックされて入国できないんじゃない~?」

なんて、家族や友達から言われていたので、身構えていたのですが、
なんと思いのほか、ノーチェック!

チェックを受けていたのは、中国からの乗客だけで、他の乗客は全くチェックも
何もなく、最後まで誰と話すこともなく、顔認証でゲートをくぐって、入国完了。

 

「こんなんで、日本は大丈夫なのか??」

と、母国のこのゆるさに不安を覚えました・・・。

 

成田に着いて、荷物を受け取とって、問題なく外に出られたのはいいのですが、
今度はどうやって家まで帰るかが問題・・・。

前日に急遽フライトを変更して緊急帰国をしたため、家族に帰ることは伝えましたが、

みんな急に予定は付かず、迎えには来てくれませんでした。

「警察にお金を借りるなりして帰ってきなさい。それか最悪タクシーで着払いかね。」

なんて言われましたが、どちらも避けたいところ。

 

マンチェスター空港で飛行機を待っているときに、ちょうどLINEでメッセージをくれた
友達に、ことの成り行きを簡単に話したところ、

「じゃあ、本当に無理だったら迎えに行ってあげるから!」

と言ってくれたのを真に受け、成田から本気で頼み込むしかありませんでした。

(しかも連絡手段は、空港の無料Wi-Fiのみ)

 

高校時代からの地元の友人。最近車を売ってしまったばかりだったので、わざわざ
レンタカーをして、旦那様と一緒にはるばる世田谷区から、夜も遅くなるところ、私を
成田まで迎えに来て、そして更に母の家まで送ってくれました。

 

本当に感謝しきれないくらいです!! コロナの危険性だったあったのに。

(私が感染していた場合)

持つべきものは本当に友だな、と改めて感じました。

 

なんだかすごいタイミングで、色々な事が起きた10日間でしたが、全において
ギリギリに事が無事に運び、こうやって日本に帰ることができました。

 

帰ってくる前は、正直なところ日本に帰ってきたいと思いませんでした。

でも、今この異様な状況とは言え、久しぶりに何処にもいかず、近所を散歩し、
家族にご飯を作って、姪や甥たちと遊び、家族と時間を長年経験した事がない
くらいのんびりと過ごしていると、日本の良さと日本人である自分を強く感じます。

 

きっと神様が、

「一度日本に帰って、ゆっくり色々と考えてみなさい。」

と、言っていたんだと思います。

 

まだまだ世界中で混乱や不安が収まらず、毎日ネガティブなニュースを耳に
していますが、健やかな気持ちで、慎ましくありながらも小さな楽しみと幸せを

噛みしめて過ごしていきたいです。

 

今の私の幸せ☆ 毎日甥の可愛い笑顔に癒されています。