去年の今ごろは、背中が痛かった。
雑誌の校了が終わるまでは、と我慢して、
5月の末にはもう起き上がることもできなくて、限界で救急車を呼んだ。
その日、受け入れてくれた病院でCTを撮り
もっと詳しく検査した方が良いとのことで
大学病院を探してくれたが、当日受け入れてくれる病院が見つからず
翌日の外来でなら受け入れてくれる病院にお願いして、その日は帰宅。
翌日の朝、トイレに行ったらいよいよ足が動かなくなり、再び救急車を呼んだ。。。
そんなことを思い出したが、
わたしがいつ癌だと告知されたのか、はっきり思い出せない。
おそらく、救急車で運ばれていろいろ検査して
急いで手術しないと手足が動かなくなる、という話を
様々な先生がやってきて説明をしてくれた中で聞いていると思うが
とにかく背中が痛いしか頭になかったと思う。
頚椎に転移してて、骨が溶けていると。
癌細胞を取り除いて、骨固定の針金を2本入れると。
たぶんそこまでは聞いていたはず。
家族は、手術がうまくいかなくて最悪の事態の話も聞かされていたので、
手術直前でエンディングノートを買ってきて、お金関係の事を伝えたので、
このまま死ぬかもなーとぼんやり思ったかもしれない。
手術は成功し、
首には固定のカラー、足は着圧ソックスに空気の入ったブーツを履いて
点滴の針が両手に刺さってて、尿道には管が入って
背中には血抜きのドレーンが2本刺さってて
体には心電計が貼っついている。
床ずれ防止のエアベッドで空気がポコポコと入ったり抜けたりの違和感、ベッドの角度も20度固定、
仰向け以外は禁止の状態で、一睡もできずにぼんやりしていた。
あの時、何を思っていたのかも全く思い出せない。
痛み止めのおかげか背中が痛くなくなってて
ああ良かったと思った。
入院中は携帯を家族に預かってもらっていたので
調べ物は一切しなかった。
とにかく目の前のことに集中したかった。
立って歩くことができなかったので
リハビリに全振りした。
入院中はほとんど寝れず、さすがに辛いのでは?と看護師さんに言われ、
しぶしぶ睡眠薬の力を借り、ようやくまだらに寝れた。
その時も恐怖とか不安みたいなのはほとんどなくてぼんやり毎朝を迎えていたと思う。
えー、何を思ってたんだろう。無。ほんとに無だった。現実逃避。
退院1週間前に主治医から家族を交えて
今後の治療についての話があって、
その時、初めて「肺がんステージ4」だと告げられた。
わたしの最初の言葉は確か、「え?たばこ吸ったことないのに?」だったと思う。
先生の「完治はしない。病気と付き合っていく」って言葉だけが強烈に残っている。
そうなんだ、先はそれほど長くはないんだな、と思った。
自分の病気のことで泣くことはまだない。
家族に迷惑かけて申し訳ないとか、
MRIだけは死ぬほど嫌だとか、
放射線治療怖い!では泣いたけど、
いまだにまだピンときてないのか、心がざわつくことはない。
遺伝子検査の結果、肺腺がんのEGFR ex19欠失はメジャーミューテーションで
治療の選択肢がいくつかあり、しかも認可されたばかりの新薬が使える、
ということに希望が持ててるのかもしれない。
なんでこんなことを思い出したのかというと
夕食時に長男が、炊飯器のご飯、ほんの少し残った、と言うので、
ほんの少しならわたしが食べる、と炊飯器を覗くと空で騙された。
長男はいつもわたしを騙す。
嘘だっていつも見抜けないんだよねー、という会話の流れで
長男が、家族はみんな末期がんだと知っていたけど本人には知らせてなかった、あれも騙せた、と言った。
そうか、みんな知ってて1か月も黙ってられたんだ。
ほんと悪いことしちゃったなー。すまん。
先生から告知を受けていたわたしの顔を見たらしい。
どんな顔してた?って聞いたら
だいぶマヌケな顔をしてたよ。だって。
泣かなかっただけ偉いと思うけどー。
それで、強そうに見えるわたしを先生が心配して、
院内のリエゾンの人を紹介してくれたんだよね。
あれ以来まだお世話になってないけど。