先日の稽古で、久しぶりに合気道の話しになった訳です。
大川さんが合気道に興味があるということで。
まぁ、久しぶりにやったらできないできない。
近く、合気道の道場にでも再び通おうかな?と思ったくらいです。
自分は、一応合気道の有段者です。
大学で4年間やりまして、その後のちょいちょいやってました。
東京に来てからはほとんどやってないので、やっていた期間としては6、7年ってとこでしょうか。
自分が合気道をやっていたからか、演劇の世界と合気道の世界が似てるなぁと思うことがあるのです。
まぁ、これは自分がやっていたから無理矢理結びつけて考えているだけって説もありますが。
そういうこじ付け的な発想力も時には必要なんじゃないのかな?って思います。
先日の稽古で長セリフについてちょっと話しがありました。
長台詞を単調に言っていたら面白くない。
単調ではない、それは単純にセリフに抑揚をつけるとか、ボリュームを変えるとかそういうことではないと。
そうしないと観てる人が退屈する、ただでさえ長いセリフが長く感じると。
これをちょっと合気道に置き換えて考えてみます。
合気道には試合というものがありません。
えっ?と思う人も多いんですが、ありません。
代わりに演武会というものがあるんですが、これも優勝とかを決める訳じゃありません。
えぇー?とマスオさんみたいなことになりかねないんですが、そういうもんなんですよ。
優劣を付けない、ということになってるんで、合気道をやっている以上は、試合もなければ、演武に出ても優勝とかもないんです。
一部、試合があったり、演武で優勝とかを決める流派もあるんですが、極々少数派です。
つまりね、正解みたいなもんがないんですよ。
競技ならスポーツなら試合なら、一秒でも早い奴が、一cmでも高い、遠い奴が正解だし、
目の前の相手を倒した奴が正解な訳ですよ。
何かわかんないですけ、ニュアンス的に演劇に似てませんか?
ちょっと、アーティスティックな世界って、そういう部分ありません?
さらに言うと、合気道はただでさえちょっと胡散臭い部分がある訳ですよ。
下手すりゃ、触らず倒すとか訳わかんないものまで合気道ってくくりで考えられたり。
あれは違いますよ。
それだけにね、合気道を知らない人が、外野からあーだこーだ言われやすいというね。
芝居も結構、外野から素人が口を挟みやすいものだと思うんですよね。
で、この演武。
簡単に言うと、型を型通りに行うだけのものです。
そもそも競うことを目的としてないので、それでいいんです。
普段の稽古の成果をそこで見せるだけのものという位置付け。
ノリ的には発表会に近いもんがあります。
でもって、これがまぁ退屈なんです(笑)
合気道を知ってる人からしたら、面白い部分が多々あるんですが、知らない人が見たらまぁ退屈でしょう。
中には、知ってる人が見ても退屈な演武もあるんですけどね。
こんな感じです。
こうやって、坦々と技を披露し続けるのが、基本的な演武というものです。
でまぁ、演武会となると、こういう感じのが何十組も続く訳です。
中にはこれさっき見たよね?くらいのことを思うときもあるくらいです。
まぁ、一日が長いこと長いこと。
自分たちはもうちょっと流動的に行う演武でして、
如何に面白いと思ってみてもらえるのかってのを考えて演武の構成をしておりました。
それ故に邪道とか、あれは演武ではないとか言われたこともありましたが・・・
で、稀に同じように技を坦々と繰り出してるだけなのに、何か惹きつける演武をする人がいるんです。
早い話がただ演武を見せるのではなく、魅せる演武をしている人が。
もしかしたら、それも、その人はただ単に演武をしているだけかもしれないけど、人を惹きつける何かを持ってるのかもしれない。
それって何でしょね?って話しで。
そういうところに、演劇にヒントが落ちてるような気がします。
あと、合気道の原理みたいなもんをちょっと。
わかりやすく解説してくれてると思います。