好きなものに良いも悪いもなければ、上も下もない。数値化できないもののアホな競い合い。 | マニンゲンメンバーのブログ

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なすすべなき劇団「マニンゲンプロジェクト」のマニンゲンメンバーが綴るブログです

たとえば「読書が好き」という。

すると「年間何冊読んでるの?」と聞かれる。

「読むの遅いから月3冊で…まあ40冊いかないくらいかなあ」と答える。

次に来るのは「えっ、そんな少ないのに読書好きって言えるの?」

以下

「好きな作家は?」

「えーと、伊坂幸太郎とか、村上春樹かなあ」

「えっ、そんなメジャーなのしか読んでないのに読書好きって言えるの!」

「じゃあさ、伊坂幸太郎の経歴でさ、こうこうこういうのあるじゃない?あと交友関係が~で…」

「あ、ごめん、作者のことはよくわからない。既刊は全部読んでるけど…」

「えっ、作者の周辺情報も知らないで読書好きって言えるの!」

自分は「読書が好き」としか言ってない。

本を読むのが好き。

でも「そんなので読書が好きって言えるの?」っていうのは、どういうことなんだろう。

好きというのに資格がいるんだろうか。

読書にかぎらず、漫画でも、アニメでも、ゲームでも。詳しくないと好きと言っちゃいけないんだろうか。




という、記事を見た。

これの相手の奴は、ちょっと嫌な奴過ぎるが、そういう傾向ってあると思う。

例えば音楽でも「○○知らないの?」「□□くらい知ってるよね?」みたいなね。

聞き方としても、好きなアーティストができたら、その人が好き、影響を受けたと公言しているアーティストを聞いてみたり。

とか。

時代を遡ったり。この時代の~~ってジャンルは、この時代のジャズの影響を受けてるから・・・的な。

音楽に限らず、演劇でも、お笑いでも、絵画でも、アニメでも、サッカーでも、ボブスレーでも、なんでもそうだと思う。

別にそれが悪いこととは思わない。

むしろ、それは良いこととも思う。

自分は音楽で言えば、どっちかってーと、遡ったりはしなかったタイプですが。

だから、たぶん上の人みたいに突っ込まれるタイプだと思う。


でもね、そうやって何でもより上の、より昔の情報を知ってる知らないみたいな話をする奴って、ろくな奴じゃないよねって。

上の奴で言うなら、じゃああんたは書物の起源まで遡って読むんかい!古文書でも読んどけ!って言いたくなるよね。

鉄道オタクにしたって、撮り鉄、乗り鉄、音鉄、模型鉄とかいろいろあるんだからさ。


本来、数値化できないもので競うのは辞めないか?って言いたい。

知識として、情報としてあるに越したことはないけど、それで競うのは辞めないか?って。

そりゃあ、読んだ本の数とか、年何冊読むとか、マニアクイズみたいな知識の面とかさ、形を変えて数値化はできるけどさ。

最近で言えば村上春樹の本を徹夜で並んで、発売に買って、次の日会社を休みにして、朝から読むとかさ。

それをしないから、村上春樹を好きと名乗ってはいけない、みたいな風潮もあるしね。

でも、それは、好きというか、オタク、マニアと呼ばれるもんであって、また違う気もするしね。


好きなら好きでいいやん。

上の人なら、既刊は全部読んでるなら、充分やん。


それを勝負の土台に持ってくるなら、そういうところで競いなよって話。