自分が書いた記事に、たまに匿名、、、一応名前はあるけど誰かわからん人、、、でコメントが入ることがあります。
ただでさえ外部の人からのコメントが少ないこのブログ。
コメントが入ることはいいことじゃないか、って意見もある訳ですが。
でもそのコメントってのは、ツッコミと言うか、批判めいた否定的なコメントな訳です。
否定的なコメントだから、匿名なんだろうけど。
奇しくも、ひとつ前の記事のタイトルが『逆撫でクルージング』
誰かの感情を逆撫でしてしまったようです。
でも昔っからそうかも?と、ふと振り返る。
自分の言動は他人をイラッとさせるらしい。思い当たる節がありすぎて、ありすぎて…
でも本人は無意識、無自覚だから余計に質が悪い。
いや、ちょっとは自覚があったりもする。
他者から見た自分なんて、どう映ってるか、どう思われてるかなんて、本当のところ解りようがないんですが。
でも、それを知るってのは、知ろうとするってのは良いことで。
自分が100あったら50は自分でも分からないことな訳で。
自分が100あったら25は自分は知らなくて、他人が知ってること。
自分が100あったら25は自分も知らないし、他人も知らないこと。
らしいので。
ちなみにあと25は自分は知ってて、他人も知ってること。25は自分は知ってて、他人は知らないこと。
これでトータル100。
自分のことを知りたかったら、他人を知れって訳さ。
自分を知った深さまでしか、他人を理解することはできない。
って言葉もあるしね。
でも自分を知るには、他人を知らなきゃいけない。
そーゆーことです。
自分に何かが欠けていると思うか、何かが必要と思うかって話もそんな感じかな。
コップに半分だけジュースが入ってるのを見て、まだ半分あると思うか、もう半分しかないと思うか、みたいなね。
夏休みが半分まで来たら、子供の時はどう思ってたか?みたいなね。
自分は、まだ半分って思ってたかなぁ…
宿題が8月31日に徹夜しても終わらず、始業式を休んだ小3の夏。
子供の時から何かを逆算してやるってのは苦手だったのかも?
ただ単に見積もりが激甘だっただけかもしれないが。
でもって、それは現在進行形って話で。
まぁ、そーゆー話です。