VOL424:


● 暗い店と、消費、と、気 について

僕はたまーに疲れると、アンティポロとか山の麓のとっても場末の
ディスコパブに行く。
といってもそこにいったのはもう一年ぶりくらいで、前回寄ってきた
店のママさんがまだ僕を覚えていてくれて寄ってきた。
こっちは誰だったか覚えてないが、もしかすると誰にでもそういう
風に言うのかもしれない。

9時前に入ったので、まだショーというか、踊りはやってなかった。

そこは客のテーブルは暗く、真ん中にステージみたいなものがあって、
その暗さから、山の洞穴に入ったようにほっとした気持ちになる。

普段の街の喧騒をわすれ、そこにいて照明がちかちか光っているのを、
みながらビールを飲んでいると、日々の疲れなのか、なんなのか、
一種の瞑想状態に入る。

頭が空っぽになるのだ。

最初にステージに出てきた子から3人目までずっと肉がぶよぶよして、
太めの子が出てきて、クオリティーが低かったのと、ビール1本
飲んじゃったのと、曲のテンポが悪かったので、3人目には店を出て
しまった。

お酒を飲んで、そういう空間に紛れ込んでいるのは、昔はよくやったけど
最近はさっぱりだ。

10年くらい前のメルマガにも書いたけど、ケソンアベニューあたりの
暗い、飲み屋で毎晩のように無駄に酒代を使っていたときは、自分がほんと
もう普通の日本人のいる世界か別世界にいるようで、異次元な感覚が
楽しかった。

マカティとかの日本人向けのカラオケだと、相手も日本人向けのサービスを
提供しているから、至極まともな会話がされて、ちっとも面白くないが、
そういうローカルなところには日本人なんかひとりで来ないし、
女の子に聞かれても、中国系の現地人ということで相手も納得するので、
普通のローカルな話をしていく。

場末の店で踊り子をしている子の出身は、だいたい田舎とか、マニラの
キアポのへんとか、貧困な地域とかが多いけど、だいたい数ヶ月で店を
変わっていったりやめてしまったりと、長居はしないみたいだ。

客のほうもただ酔っ払って、騒いで、その時に若い子が盛り上げてくれれ
ばいいという、地元の小企業経営者の親父みたいなのが多い。
日本の親父みたいにお気に入りの子のために通いつめるなんてことはしない。

そういう場所での出会いとは一期一会なのだ。

そういう気の抜いた夜を過ごした後で、休日にハイストリートあたりの
CAFEでゆったりとし、English breakfast teaとOat meal Cookieなどを
つまみながら、欧米人が多いテーブルに陣取り、行き交う人をカメラで
とったり、新聞を読みながら時間を過ごしていると、あの暗い洞穴の場末
の飲み屋が、まるでパキスタンとか外国での夢だったかのような気になる。

日本の地震のことは、あえて触れないでおこうと思ってこれを書き始めた
けど、なんとなく浮かんできた言葉は ” 消費 ”だ。

Greenbelt 5、パワープラント、Eastwood mall、ハイストリートなど
周りに裕福な住民の住む地域を抱えるモールやショピングセンターでは、
人々がご飯をたべたり、CAFEにいったり、買い物などの”消費”を楽しんで
いることか。

消費というのは人間の活動レベルを示す指標であり、エネルギーそのものだ。



送信者 シャーベット




人がいて、住んでいるところには辺鄙な村でもサリサリストアとかがある。
それらのお店がなくて、家ばっかりだったら、如何に町の風景に活気が
ない。日本の郊外の団地などで、昼間に全然人がいない、僕の家の周り
など、活気はないが、それにくらべるとサリサリストアの前でなんかを
買っていたり、道端に座っている老若男女などがいかに人の生活感を
示しているか。

東北の被災された町の瓦礫ばかりの土地をみていて、避難している人に
お年寄りが多いのをみて、あそこに集落が戻って、人が住むようになって
消費が活発になるのには、いったいどれだけの時間がかかるんだろうか?
と考えてしまった。

それに比べてこのマニラ首都圏の消費の旺盛なこと、

僕がいった飲み屋の山の麓みたいな町にだって、夜になればポツンポツン
と飲み屋の灯がつき、バランガイの中では意味もなく、徹夜で飲みあかす
人たちが数限りなくいる。

そういったフィリピンという国が持つ、人々の持つ若々しいエネルギーと
日本のような老年の人口の割合が多い、先進国と呼ばれる国を比べるのに
重要なキーワードは、”消費” だ。

うまく説明できていないけど、若年層が人口比の割合で高い発展途上国
や、G20の国ーG7=新興国に住むことが好きな人たちは、
(我々各国外国人も含め)若い人がいて、いろんな活動をして、消費を
活発に行う、というその状況がなんだかんだいって、好きで、なんらかの
自分の生活の糧を得ている人たちなんだと思う。

それは多分 ”元気” の ”気”と呼ばれるものだ。

人がたくさんいれば、それは ”気”になる。とくに若い人達の ”気”だ。

地震のことにふれるのはよそう、と思っていたのに脱線してしまった。

TVをみていて、地震で家を無くしてしまった90何歳のお年寄りが、
戦争も体験しました、三陸沖地震も体験しました、だから今度の地震も
大丈夫です、またやり直します”と言っていたのには、感銘を覚えた
だけでなく勇気をもらった。

つまり生きているだけで、とてもラッキーで、困難な状態にあっても
楽天的に肯定的に行こうぜ、という強い生き方だ。

当たり前だが、自分はそういう90のおじいちゃんに比べれば、
100倍くらい恵まれていて、若いわけで。
この人がまたやり直しますよ、と言うのを聞いたら、僕が日常のことで
くよくよ悩んでいるのは、全くもって意味無しになる。

このフィリピンで感じる ”気”というのは、なにかを一徹に
やりとげるのに、一生懸命がんばる、といった日本人的な ”気”とは
異質なんだけど、物事を受け入れ、その中で挫けるわけでなく、
与えられた状況の中で、最大限楽天的に生きる、考えることができる
思考パターンというものは、物事を”楽天的に、肯定的に考える”
という一点で90のおじいちゃんと共通していた。

今回も結論的なものは無いけど、自分の中で地震のことは、少し
ずつ整理が付いていっている。

それは東北の寒い避難地のおじいさんのいった勇気づけられる言葉から、
楽天的なフィリピン人と、生きてるだけで丸儲け、
なんでもできるんだな俺というラッキーでポジティブな姿勢を、
自分に言い聞かせることに繋がっていったのでした。


送信者 シャーベット



● Sacker punch

というわけで、今晩はちょっと変わった映画、”Sacker punch "
を観てきた。



ネタバレになるから、書かないけど、今までみた映画のなかでは
かなり新しいタイプの映画だ、というか、間違いなくゲーム化を意識して
作ってある。



そのままストーリーをなぞってゲームになる。

ちょっと残酷だけどね。


マニラの夜明け:マニラで健康自由な時間と仕事を手に入れ静かに優雅に暮らす。