VOL404: バカラ、ターミネーター、一人で立って生きる実感、
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今晩は35分くらい走った。そして胸に腕を引きつけるようなエクササイズ。
汗がたっぷり出た。
前の晩は朝4時半までつまらないことをして起きていたので、寝不足だった。
だからやたら腹がへってリトル東京で夕方5時前に日本食を食べてしまった。
そこでクッキーとかいろいろと甘いものも買い込んで家に帰ってまた食べて、
眠たくなったのでちょっと仮眠して、それから体のだるさをとるためにWorkout
とにかく汗をかいたら体が正常に戻った。
体も睡眠時間が減ると、そのストレスに対応するように食欲がでたり、いろいろと防御反応がある。
最近Resort worldというカジノに行ってバカラをしたりする。
といっても遊びなので2000ペソくらいしか使わないので、油断すると一瞬で無くなるが、
勝ちと負けの波の中で自分の心をいかに平静に保てるか、ということで自分自身の心の動きを
観察している。
最終的には少しプラスのところでゲームを止める。
バカラというのはTellerとBankerどちらかに賭けるわけで、単純だから一番好き。
ディーラーの横にLCDのチャートがでていてその前の20試合くらいのTELLER か
BANKERかTIEになったかという試合結果が表示されている。
それを大抵の人は見ながら次の手を張るのだが、じつはそれは判断を迷わすものだと信じていて
ちらっとしかみない。ひたすら無表情。
例えば表には3回続いてTELLERが勝っているとでていると、人間誰しも次はBankerが来る
確立が高いだろうという気がしてBankerに賭ける。
が、一回一回のゲームのそれぞれの目がでる確立は一回ごと独立していて、その前の結果が
何回偏った結果だろうが、その次にその逆がでる確率は50%だ(TIEをかんがえないと)。
それに惑わされて交互にかけていると、大抵30分もしないうちにチップを減らす。
株式投資などの投資で何百万円も痛い勉強を通してやっと最近わかりかけてきたことは
ことお金に関しては人は感情というが湧き上がってくることを抑え切れない
そしてその感情は勝負の判断の基準を狂わせる。
だからポーカーフェースと呼ぶが、ギャンブルでは感情は押し殺す、隠すのがいい。
自分はバカラをしているときにはターミネーターのようなマシンと化す。
感情を廃し1つのやり方をひたすら機械的に繰り返す。
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10回から20回のうちどちらがでるかをみて、そちらの方に賭け続ける。
Bankerが続いてもうそろそろTellerがくると皆思うときでも惑わされずBakerに賭ける。
しかしすこし掛け金を減らしてかけるのでもし逆にきても損害が軽くなる。
2分の1の確率でくるとすれば少しでも多くその時に出ているほうに賭け続けて
その逆に出たときのロスを減らしてやる。
2000ペソくらいではじめるとついてないと200ペソくらいにすぐなっちゃうが、そこでもおじけずに
同じことをする。そして200ペソから1000ペソくらいプラスになったところでやめる。
今は株はやらないが金のワラントなんかでも同じだ。
チャートをみていればどの値段からどこくらいまでワラントの値段が振れるということは
みて取れる。あとは下値に指値をいれ、買えたら上限値で指値を入れる。
マイナスになればなるほど、最初に決めたことは破られ早く売りたくなるし、その数時間後に
グーンと急上昇するし、予想があたり高値になってここで売ると決めていた値でもう少しと
待っていると結局マイナスになってしまうことを何十回も繰り返すと
バカみたいだが結局自分の感情と逆のことをするのが一番儲かるじゃんということに気がつく。
お金の得した損したということで湧き上がってくる感情は ‘恐れ‘ だ。
バカラで僕が経験する感情は金ワラントでのそれと全く同じ。
そして自分の商売でもまったく同じ”感情”が判断を狂わせるだ。
なぜ商売をうまくいかないか、という理由を考えてみるとそのひとつにはお金がビジネスの
決断を狂わせることがある。
株では最初に株を買う前にいくらで買っていくらで売ろうということを決める。
その計画にそってやればそんなに悪いことは起こらない。想定外のときが起こったら、
というがその時はいくらで損きりをしてやるということを決めていれば想定外は想定外でない。
商売でも皆最初にこれこれこういうことをやって、売上を立て、利益をだして、営業しようとか
人を雇おうとかいう計画を立てる。
それは株のように単純ではないが、同じことだ。
計画通りのことをやって、それが実際計画通りの数字になるかならないかといえば
ならないのが普通だ。
3ヶ月で売上は100万円になって、利益は50万円になるという計画が
あっても売上は10万円しかなかったりするのは普通だ。
そういう数字上の状態というのはバカラや株で損をしているときと同じように恐れの感情を
呼び起こす。感情だけでなくて、実際に生活するお金がなくなり窮乏が始まると
最初に考えていた計画なんてどこかへふっとんでしまう。
その逆もしかりだ。
3ヶ月で100万円の計画が1000万円になったら、最初持っていた計画は無条件に
変えられるだろう。
それはまった最初に思っていた判断基準に基いてではなく、連続していないつながりのない論理で。
どちらも想定外の数字の結果に踊らされ、計画とか判断が最初に立てたものからぶれてしまう。
これは株で価格が自分の下値を下がってしまったり、売値以上にあがってしまったときに
最初に決めた損きりと売る価格を忘れて違うことをしてしまうパターンだ。
これがギャンブラー。
商売でこれをやりだすと現実の売上などの数字が上がったり下がったりするたびに
計画が変わる。
行き当たりばったりでBankerとTellerに交互にかけていると30分でお金を減らしてしまう人と
同じだ。
周りからみるとそういうかけ方は継続性がない賭け方だとわかる。
僕が使う計画という言葉はなにをやってなにをするか、というと一連の”行動の計画”の事を言う。
行動の結果である数字を計画の指標に当てはめるのはまずい。
なぜなら数字がこうなったらこうしようという計画には常に”恐れ”という感情がつきまとい
その感情によって行動計画が変わるからだ。
営業マンだったら今日はA,B,C3件のお客さん周りをするという行動計画を立てれば
それを実行するかどうかが問題になる。
これを数値の目標を入れると、A,B,Cさんのお客さん周りをするが目標は10万円の売上げになる。
こうすると3件営業をするということよりも10万円の売上げをどうするか、ということが
肝心になる。そうすると10万円の目標達成のためには営業マンがなんとかしろということ
だけになり、なにをどうするかということは意味がなくなるし、では10万円の売上げを達成できなければ
どうなるか、という ’恐れ’の感情が行動を支配するようになる。
こうなってくるともう計画もなにもへったくれになってしまって、ただ闇雲にバカラの結果表の
出具合に応じてBankerとTellerを交互にかけてしまうギャンブラーとあまり変わらなくなる。
じゃあ数値目標は無しがいいのか、というとあったほうがいいが、それはあくまでも目安としてであり、
行動目標を左右するものではない。
自分としては自分にプレッシャーをかけるためにあえて数字を自分に課している。
今月は利益が30万円必要だよ、というようなことだと何が何でも達成するということも事業をしていると
どうしても必要になってくる。かといって行動計画をたてないかというと基本的に毎月なにをどう攻めて
ということは決めてそれにしたがって淡々と進めていく。
一つのことをできたかどうかが問題で、その結果どうなったか、ということはやっているときには考えない。
結果は後になってからでないとわからないし、結果を心配するようになるからだ。
やった後の直後は自分がやったその行動の意図した成果が出ているかどうかだけがその効果を計る
判定基準になる。
利益がその月にでるかどうかなんて神のみぞ知る、の世界だ。
とこう書いてみても実際にお金に関する’恐れ’の感情ってのは自然とわきあがってくるもので
人間にはどうしようもない。
自分が計画して間違っていない、必ず成果がついてくると思っていても、実際に結果が1年してあらわれなければ
それは失敗だし、その逆に長い間かかって実を結ぶこともある。
毎月赤字が続くとそれだけで自己の自信はアイスクリームのように溶けてかけらもなくなっちゃうし、
誰からもなんの注文もないとそれはそれは孤独で、こんなんでいいのかと自問自答する。
しかし注文が来るとと自分が自分で生きているということを実感できる。
こうして苦労してやっているというのも自分が会社にサラリーマンとして依存しているのではなく
社会の他人から依存され、依存し合って独立して立っているということがわかるためにやっているのだと。
人が自分の提供するものを欲していたり、自分が人様のなにかを欲しているときに自分が社会の中で
本当の意味で自立しているというのがわかる。
そういう人と人とのかかわりの中で毎月毎月お金を稼がせてもらうことはとっても大変だし、
いつまで続くかわからない。でも試行錯誤を繰り返すうち次第になにをどうバランスをとって
やっていけばいいのかってことが身についていくような気がする。
一輪車でロープの上を綱渡りするように慣れれば困難だと思われた事が普通にできるようになる。
怖いのははじめのうちだけだ。
人生のあらゆることはバカラのように運の波にうまく乗っていくことだと思う。
感情にながれすぎて判断の基準がくるくる変わるのは結局チップを減らしてしまうことにつながる。
かといってうまくいかないやり方をいつまでも続けることも得策ではない。
うまくいかなければやり方を改善するが、それは”恐れ”の感情に飲み込まれて
自分をなくしてでたらめに物事を判断してしまうのとは違う。
それはWork outに似ている。
自分が今日Work outをしようというのはあらかじめ決めてやるが、そのときの体調によって微妙に
やるエクササイズの内容と強度と時間を変えてやる。
それはこれをこれくらいやると次の日どうなるのか、という経験から判断している。
数字に一気一悠してやることを変えていくと言うのだと毎日体重計に乗って、その結果で
やる内容を変えてやるようなものだ。そこには計画も理屈もない。
僕ら人間はお金でも家庭でも仕事でも失敗を繰り返すことでしかなにをどうしたらいいかということを
学べない。
しかしうまくいく方法はバカラをコンスタントにプラスにするのと同じで必ずある。
そしてその方法を習得するコツはものは違っても同じ事だ。
自分は株の投資とかの何百回という失敗や他の失敗を通してその本質がうっすら見えてきたような気がする。
非常に抽象的な表現でそれを表わせば、それは
”片目をうっすら開けながら自分の決めた事を他人がやっていることのように見ること。”
自分自身のやっていることを他人毎のように冷静に見えているか、ということだ。
それは他人事だから ”恐れ” の感情を入れないということでもある。
ターミネーターのようになること、と自分では思っている。
自分は人一倍エモーショナルであるということをわかってそういってるんだけど。
じゃあ長く書いたから、今晩はこの辺で、
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