VOL393: Workout への道(特別編)
● 体が悲鳴を上げるとき、孤独な人たち、
と、大げさに書いたけど、要はWorkoutの途中で一つのエクササイズをどれだけ何回やるか。
それがとても大事なことだ。
筋肉の限界がくる感触を目安にして、そのちょっと手前か、丁度のところまでか、それを超えてやるか?
エクササイズのタイプによっても違うし、Workoutの前半か、後半かでも違う。
どこで止めるかでその日の晩、翌朝の目覚め、翌日の晩、そして筋肉の張りに影響を与える。
でもその辺を意識してやっているか、というとそういうわけでもない。
単純にできるところまでやる。
ウエイトが30で8割の力が必要だとすると大体12回の repeatition の4セット、
ウエイト40だと100%の力なので8回の3セット、25だと12回の4か5セットになる。
負荷が低いと回数を増やし、負荷が高いと回数を減らす。
その筋肉の部位の疲れ具合によって、負荷を減らす。
僕が気持ちがいいのはいつかというと、体の限界の一歩手前。
でも限界をこえてやると筋肉の細かい筋が壊れるらしい。
数時間後に影響が出る、歩いていられなくなる。
で翌日はもっとはっきり影響がくる。
階段とか上がろうとすると早く上がれなくなる。
いつも限界を超えてやっているといつも体のどこかの筋肉が疲れているから良くない。
その翌日、翌々日にかけて段々筋肉がさわやかになってくる。
そして調子が良くなってくると足の裏がぴったり着く感じになる。
週のうちにそういう感じのする日の割合をできるだけ増やそうとするときついウエイト
トレーニングの回数は減らさないといけない。
限界まで追い込んで快感を得ようとすると翌日に影響がでるから、なるべく土曜に
そういうことはやる。
他のWorkoutをしている連中をみていると、割と一人で来てる場合が多い。
7割くらいは一人で来ている。
ここから何が言えるかと言えば、皆Lonerなのか?
そうではない、僕長年におけるGYMでの研究の結果によるとGYMに通う男女は高学歴、
良い仕事を持つ人が多い。
というか100%そうだ。
1.健康に気を遣っている
2.外見に気を遣っている
3.GYMに行く時間をとれることは自分で仕事のスケジュールを有る程度コントロールできる(長時間労働ではない)
4.車で通っている
5.GYM代を払える
それを何年も続けるというのはその人の意識をしめす。
マカティのオフィスで仕事をしているあまりえらくないただのスタッフ(下宿しているくらいの人)だと
GYMに通い始めても長続きしない。
そして少し小太りだ。
様々な理由があるが、すぐやめてしまうのはダイエット出来ないからだと思われる。
なぜできないか?原因はさまざまだが、食生活やその他のことを以前と変えないのに、GYMに通っただけで
やせると思ってしまうことだ。
そして最初は高かったモーティべーションが体重が落ちないと段々と低くなり、次第に行かなくなる。
残念ながらGYMにいくというのは健康な生活をするということのきっかけになりこそすれ、
一部でしかないのだ。
何をどう食べるかは運動と並んでダイエットには大事なことだが、中流クラスのオフィススタッフには
食べるものを選ぶことができにくいし、何が体に良くて何が悪いのかという知識がない。
レストランに入るたびにバカの一つ覚えみたいにアイスティー、ライス、肉、とやっていたら
週3回のWorkoutで使った総カロリー600カロリーなんて1食分ちょっとくらいにしかならない。
それに食生活と同じくらい大切な代謝が上がるという感覚を意識していない。
満腹になると胃に血流がいき、筋肉に廻って消費されるカロリーが減る。
話が脱線するが、このあたりの人が実はマニラのオフィスワーカーと呼ばれる層の中核をなす。
そしてこの層がマカティの購買層としては一番大きなグループになる。
この層がもうちょっとがんばってスーパーパイザーに昇進し、結婚すると車が買えたり
住宅ローンを組めたりする最低の線に達するわけだ。
いずれにしても、GYMを続けていけるか、行けないかということをじっくり観察すると
性格とか、運動が得意かとか、ということ以外の社会学的なグループづけでそれが決まっていることが
ハッキリする。
ダイエットとかそういうことを目的にするWorkoutは部分でなく、体全体を科学するが必要だけど、
頭で理解するということだけでなく、自分の体の感覚をセンサーにしていくしかない。
体に向き合うという意志がスタート地点になり、仕事も生活もそれを自分の体を軸にして
いかないとなかなかうまくいかない。
では、一人で黙々とWorkoutしている人達は孤独なのか?
全然、大体そういう人は結構やり手のフィリピン人が多い、社交的で、
ただ自分がやることがあるから、やっているだけ、一人できりっとして、細身で走っている
女性とかを見ているといいとこのお嬢さんだなって思うだけ。
● 体が悲鳴を上げるとき、孤独な人たち、
と、大げさに書いたけど、要はWorkoutの途中で一つのエクササイズをどれだけ何回やるか。
それがとても大事なことだ。
筋肉の限界がくる感触を目安にして、そのちょっと手前か、丁度のところまでか、それを超えてやるか?
エクササイズのタイプによっても違うし、Workoutの前半か、後半かでも違う。
どこで止めるかでその日の晩、翌朝の目覚め、翌日の晩、そして筋肉の張りに影響を与える。
でもその辺を意識してやっているか、というとそういうわけでもない。
単純にできるところまでやる。
ウエイトが30で8割の力が必要だとすると大体12回の repeatition の4セット、
ウエイト40だと100%の力なので8回の3セット、25だと12回の4か5セットになる。
負荷が低いと回数を増やし、負荷が高いと回数を減らす。
その筋肉の部位の疲れ具合によって、負荷を減らす。
僕が気持ちがいいのはいつかというと、体の限界の一歩手前。
でも限界をこえてやると筋肉の細かい筋が壊れるらしい。
数時間後に影響が出る、歩いていられなくなる。
で翌日はもっとはっきり影響がくる。
階段とか上がろうとすると早く上がれなくなる。
いつも限界を超えてやっているといつも体のどこかの筋肉が疲れているから良くない。
その翌日、翌々日にかけて段々筋肉がさわやかになってくる。
そして調子が良くなってくると足の裏がぴったり着く感じになる。
週のうちにそういう感じのする日の割合をできるだけ増やそうとするときついウエイト
トレーニングの回数は減らさないといけない。
限界まで追い込んで快感を得ようとすると翌日に影響がでるから、なるべく土曜に
そういうことはやる。
他のWorkoutをしている連中をみていると、割と一人で来てる場合が多い。
7割くらいは一人で来ている。
ここから何が言えるかと言えば、皆Lonerなのか?
そうではない、僕長年におけるGYMでの研究の結果によるとGYMに通う男女は高学歴、
良い仕事を持つ人が多い。
というか100%そうだ。
1.健康に気を遣っている
2.外見に気を遣っている
3.GYMに行く時間をとれることは自分で仕事のスケジュールを有る程度コントロールできる(長時間労働ではない)
4.車で通っている
5.GYM代を払える
それを何年も続けるというのはその人の意識をしめす。
マカティのオフィスで仕事をしているあまりえらくないただのスタッフ(下宿しているくらいの人)だと
GYMに通い始めても長続きしない。
そして少し小太りだ。
様々な理由があるが、すぐやめてしまうのはダイエット出来ないからだと思われる。
なぜできないか?原因はさまざまだが、食生活やその他のことを以前と変えないのに、GYMに通っただけで
やせると思ってしまうことだ。
そして最初は高かったモーティべーションが体重が落ちないと段々と低くなり、次第に行かなくなる。
残念ながらGYMにいくというのは健康な生活をするということのきっかけになりこそすれ、
一部でしかないのだ。
何をどう食べるかは運動と並んでダイエットには大事なことだが、中流クラスのオフィススタッフには
食べるものを選ぶことができにくいし、何が体に良くて何が悪いのかという知識がない。
レストランに入るたびにバカの一つ覚えみたいにアイスティー、ライス、肉、とやっていたら
週3回のWorkoutで使った総カロリー600カロリーなんて1食分ちょっとくらいにしかならない。
それに食生活と同じくらい大切な代謝が上がるという感覚を意識していない。
満腹になると胃に血流がいき、筋肉に廻って消費されるカロリーが減る。
話が脱線するが、このあたりの人が実はマニラのオフィスワーカーと呼ばれる層の中核をなす。
そしてこの層がマカティの購買層としては一番大きなグループになる。
この層がもうちょっとがんばってスーパーパイザーに昇進し、結婚すると車が買えたり
住宅ローンを組めたりする最低の線に達するわけだ。
いずれにしても、GYMを続けていけるか、行けないかということをじっくり観察すると
性格とか、運動が得意かとか、ということ以外の社会学的なグループづけでそれが決まっていることが
ハッキリする。
ダイエットとかそういうことを目的にするWorkoutは部分でなく、体全体を科学するが必要だけど、
頭で理解するということだけでなく、自分の体の感覚をセンサーにしていくしかない。
体に向き合うという意志がスタート地点になり、仕事も生活もそれを自分の体を軸にして
いかないとなかなかうまくいかない。
では、一人で黙々とWorkoutしている人達は孤独なのか?
全然、大体そういう人は結構やり手のフィリピン人が多い、社交的で、
ただ自分がやることがあるから、やっているだけ、一人できりっとして、細身で走っている
女性とかを見ているといいとこのお嬢さんだなって思うだけ。