知的スピリチュアル講座

知的スピリチュアル講座

人は毎日少しの時間でも『無我』になることによってのみ、
運勢を好転させることが出来るのです。

なぜなら、エゴ(自我)が幸運の邪魔をしているのです。

 経典に嘘が書いているとまでは言いませんが、明らかに教祖の教え以外も含まれていると考えるべきではないでしょうか。

 

そうすれば一言一句正しいとか言わなくなるのです。

 

どう考えればイエスが再臨して最終戦争を率いるとなるのでしょうか。

宗教上の最終戦争なんて自分の中の善と悪の心の戦い以外にはないでしょう。

 

武器を持って異教徒を殺すなんてどう考えても有得ないでしょう。

 

しかもユダヤ教もキリスト教もイスラム教も神は同じなのです。

預言者と時代が異なるだけなのです。

 

同じ神を信じている仲間(?)で戦争をするという論理が理解出来ないのです。

 

そのオカルトチックな考えを信じている国の大統領の言う内容が毎日変わっているのですから、二千年前の教えの内容がそのまま残っているとなぜ思えるのか不思議です。

 

宗教とは神を信じるものだと考えるから道を誤るのです。

人が従うのは真理でなければならないのです。

なぜなら真理でなければ時代によって変わるからです。

 

真理なのですから道理が必要なのです。

世の中は宗教かどうかは関係なく正しいことが正しいのです。

 

神の名を語っても正しくないものは正しくないのです。

それを正しいと信じることが宗教ではないのです。

 そして一番肝心なことは、古くは宗教は国の統治に利用されてきたのです。

ですから為政者の都合の良い内容が含まれるようになっているのです。

 

イスラム教のシーア派とスンニ派が分かれたのはそれが理由だったはずです。

経典の内容を為政者側に都合が良いように解釈したことによって分裂が起こったのです。

 

それなのにこの21世紀において旧約聖書や新約聖書の内容が原因で戦争が起こっているのですから人間がどうかしてますよ。

 

新約聖書なんて半分以上の内容が千年くらい後のローマ教皇が書いたと言われているのです。

ですから一言一句正しいと理解する根拠がないのです。

逆にどこまでイエスの教えが反映されているかの方が問題なくらいです。

 

ユダヤ教の経典は旧約聖書ですが、ユダヤ教の預言者はモーセです。

モーセが神から預かった言葉が基本になっているはずです。

 

あの有名なモーセの10戎には人を殺すなという条項と、人の物を盗むなという条項があるのです。

 

そうするとどう解釈すれば戦争をして人殺しを正当化出来るのでしょうか。

教えの一番基本的なことさえ理解出来てないのに旧約聖書は絶対に正しいと言われても何を言っているのかとしか思えません。

 

ただ単に戦争の口実に神を利用しているとしか思えないのです。

おそらくこれを言う人達は神を信じず自分の利益だけを求めているのです。

 

普通に考える神の立ち位置から正反対の側に居るのです。

 教祖の直筆ではないと考えると、宗教の経典の内容が全て正しいと考えるのは誤りなのです。

 

少なくとも誤りもあると考えて理解すべきなのです。

 

キリスト教福音派のように聖書の一言一句が正しいとは考えるべきではないのです。

 

聖書の半分以上が後のローマ教皇によって書かれたとされてますし、最初の12使徒は出来の悪い弟子だったということが定説になってますから内容が全て正しいと考える方が無理があるのです。

 

いくらローマ教皇だと言っても直に会って話を聞いてないのですから、その真意など理解出来るはずがないのです。

 

そもそもプロテスタント派が出来たのが教会が教えを自分勝手な解釈をしていたからですが、だからと言って一言一句正しいという考えも行き過ぎではないでしょうか。

 

時間が経つと物事には尾ひれが付くものなのです。

 

三蔵法師の西遊記にしても同じで、本来の内容は西にはどのような国が存在してどのような文化があるというだけのものだったのです。

 

ところが誰かが物語りを作ったら、後から後から物語を誰かが付け足したのです。

 

経典も同じで宗教関係者が自分達の都合が良いように後から付け足したと考えるべきなのです。

 

その上に社会制度も変わってますし、世界観も変わっているのです。

時代背景が異なっているのにそれを今日に当てはめるというのもどうかと思います。