こんにちは。続きpart2です。
当時、クリスマスの計画は夏のボーナスをもらった7月中頃から始めていました。今回ボーナスはこれ位だったから冬のボーナスはこれくらいであろうと予想してレストラン、ホテル、プレゼントの予算編成を始めます。
次に昨年の情報収集。先輩、同期、夜の街からの情報も含めて、今どこのレストランが良いのか?どこのホテルが良かったか?穴場や新店はあったか?夜な夜なあのバーで会議が開かれるのです。
インターネットなんてまだまだ遠い先の話、信頼できる情報は口コミオンリー、綿密なリサーチ期間の1ヶ月間が始まります。
お盆休み前までにアバウトのコーディネートをイメージして、8月の後半には決定していかなければいけません。
何故なら9月1日になるとレストラン、ホテル共にクリスマスの24日の予約が開始されそこに予約が殺到するからです。
今では考えられないですが人気のレストラン、ホテルは9月の予約開始と同時にSOLD OUTになっていました。
ホテルも当時は外資系のラグジュアリーホテルなど関西にほとんど無く、ほぼドメスティックオンリー。選択肢自体も少なかったので人気のホテルはどこも倍率が高かったのです。
当時は神戸のポートピアホテルが絶対的なステータス性を持っていて、特に12月24日の海側のスイートルームは争奪戦でプラチナチケットと呼ばれていました。
クリスマスは夜景と海を見ながらディナー。そしてここでプレゼントを渡すのが儀式。。笑
当時はホテルディナーが主流ですが、やはりそればかりでは面白味に欠けます。個店のフレンチやイタリアンは情報も少なく敷居が高かったのですが、あの緊張感、テーブルマナーや立ち振る舞いなど社会人としてとても良い勉強になりました。
ホテルのディナーはお客様として迎えてくださるので気は楽でしたが、個店はこちらが客としてふさわしいか常に厨房から常に品定めされている様な感じで、、食事をしながらも本当気が抜けませんでした。
個店で人気を占めていたのは大阪では南船場のコロッセオやアメリカ村のシェワダ、北浜のルポンドシェル。神戸方面では北野のベルゲンや北野クラブなど、イタリアンかフレンチの完全二択でした。
まだ日本のフレンチもイタリアンも歴史が浅い頃で、ことらもあまり違いも分かっていませんでした。イタリア料理といえばピザかスパゲティしかないと思っていたらアンティパストと呼ばれる前菜があるのを知ったのもこの頃。
この日の為に自分の服も新調し、彼女へのプレゼント、ディナー、ホテルと、もう湯水の如くお金が出ていきます。
プレゼントも一般的にはカルティエ、ティファニーなどのジュエリー系かヴィトンかシャネルのバッグや小物がマスト。
ただ今の時代と違い小物より洋服の方が絶対的な価値があった時代で、服をプレゼントするのは全然ありでした。私の周りもバックなんかより服がいい!と言う女性の方が多かったです。
そんな時代背景で私がラッキーだったのは会社が当時大人気のあったエンポリオ・アルマーニの日本の代理店をやっていた事。
今季物でも社員価格なら半額。社販でアルマーニのスーツを購入し、それをクリスマスプレゼントにあてていました。特権でずるいですが、とは言えスーツとなれば上代は20万円以上するので半額になってもそこそこの値段です。
当時のエンポリオアルマーニの御堂筋店。
半額だろうが何だろうが女子は今季のアルマーニのスーツを手に入れて超ご満悦でした。20歳そこそこのサラリーマンのカップルが男女共々全身アルマーニでコーディネート。私の場合は裏技ありでしたが一般でもそんな奴ゴロゴロいましたからね。本当に異常な時代でした。
社販で浮いたプレゼント代も置いときゃいいのに、浮いた分をまた調子に乗ってレストランやホテルのアップグレードに使ってしまう超バカさ。あの時代どんなバカをしたかを競い合うバカさコンテストの時代。
レストランも事前リサーチに女子友達を連れて味や雰囲気を確認しに行ったり、オススメスポットの事前現調にも付いてきてもらったり、、クリスマス本番に向けてマジで涙ぐましい男子の投資と努力。真剣に遊びに向き合っていましたね。
そこで感じたのは仕事も遊びも良い結果を残す為には段取り次第と言う事。行き当たりばったりでハズレを引く可能性を極力減らし、確実に楽しくなる様な情報と計画性が必要だと感じたのです。そして常に新しい事は飛び込んでいく為の情報と行動力や勇気。仕事に通じる事が本当に沢山ありました。
ただホテルの予約だけは思っている以上に厄介でしたけどね…
本日ここまで。
part3に続く。