こんにちは小松です。



前回のブログで触れていたライセンスビジネスについての考察を少々。

今や下火にやってしまった欧米ブランドのライセンスビジネス。しかし昭和の時代にはそれが日本のアパレル企業にとって絶対的売れるコンテンツとして存在してきました。



日本のライセンスビジネスにおける最大の成功事例は三陽商会が契約していたBurberry。一時期はその売り上げは500億円程に到達していたそう。しかし記憶にも新しいですが本国のラグジュアリー、グローバル路線への転換により40数年間続いた契約は終了、と言うか実質はBurberry側からの一方的な打ち切り通達。そこから三陽商会の業績は著しく悪化し現在経営難が囁かれています。





1960年代から始まった多くの欧米(特にフランス、イタリア、アメリカ)ブランドのライセンスビジネスは日本のアパレル企業の屋台骨を支える中核事業になって行きました。



多くのメゾンは日本、韓国など経済発展し先進国の仲間入りしたアジア圏の国々に向けてライセンス提供を始め、契約料や売り上げのロイヤリティを得る事で莫大な利益を得始めたのです。



ピエールカルダン、DiorLANVINBurberryBALENCIAGA、Chloeなど今をときめく多くのラグジュアリーブランドはこうしたライセンスと言う形態で日本に紹介され認知されていきました。(例外なのはCHANEL、VUITTON、HERMES、GUCCI。これらのブランドはライセンスビジネスに手を出しませんでした)



こう言ったライセンスビジネスは古くは百貨店が主体となり始まりました。後にカネボウや上記の三陽商会などアパレルメーカーに広がり、大手商社などにも取り扱う様になり日本国内で多くのライセンスブランドが誕生していきました。



特に70年代から80年代の日本の市場はとにかくヨーロッパのブランドのマークやロゴをつけて販売すれば何でもかんでも売れる時代。それまでの日常品としての衣料が海外ブランドのネームを借りて嗜好品としてのファッションへと変化しました。日本の経済の発展も相まって生産量や売り上げも年を追うごとに急速に伸びて、本国のロイヤリティ収入も飛躍的に増加し企業価値を高めて行ったのです。



ちなみに私が新入社員の時担当したのがランセンス契約されたばかりのカステルバジャック。いい意味でよく伊藤忠さんもこんなブランドを引っ張って来てライカに繋げたものだ。その後100億円近くの売り上げを叩き出したのでライセンスブランドとしては大成功した一例である。



限られた富裕層に向けて販売していていた1フランスの小さなメゾンがライセンスビジネスによって大衆に向けてアプローチし認知度と共に業績も大幅にあがって大企業化して行ったのです。このビジネススキームがあってラグジュアリーブランドの今日の基盤を築いていったのです。



しかし90年代半ばにはその様なライセンスビジネスの伸びも鈍化し始めます。



簡単に売れるものだからメゾン側、国内アパレル側双方もライセンスを乱発して様々なカテゴリーの商品が販売されて行きました。



スポーツウェア、バッグ、財布、ベルト、靴、傘、タオル、ネクタイ、そしてマグカップまで何でもかんでもブランドロゴを入れただけの安易で陳腐な企画の物も販売され始めます。



そんな商品は最終、街のスーパーなどにも並ぶ様になり、ブランドの威厳や価値は薄まりライセンス=安物の代名詞となってイメージも低下していきました。そうすると次第にロゴやマークが入っただけのライセンス商品は敬遠される様になり売れなくなっていきました。



例えば今をときめくBALENCIAGAなどもその最骨頂で80年代にかけての日本ではおじさん御用達のゴルフブランドとして展開されており今のモードさなど微塵もありませんでした。



しかしそうやってライセンスビジネスが衰退して行くと契約も一つまた一つと打ち切らて行くと本国のBALENCIAGA社も経営難に。倒産寸前でGUCCIを買収していたケリング社に買収されラグジュアリーブランド路線に変更。それが功を奏して大成功し現在のブランドの地位になっていった訳です。



その当時のバレンシアガです👇おじさんこんなの着てた着てた。




僕のGIVENCHY社での仕事もまさにそのライセンスビジネス。日本のアパレルと契約しブランドの名前を借りてレディース、メンズのアダルトシニア層を狙ったスポーツウェアを展開する事業。



プレタのレディースラインにおいても当時は大丸百貨店さんがライセンス展開されていましたがそちらも60代、70代のおばさま御用達の百貨店ミセスブランドといった位置付け。



どこのライセンスブランドのターゲティングも若い感性を持った層とは縁遠い、お金を持ったアダルトミセス層への訴求を狙っていました。



その時すでに本国のGIVENCHY社はLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)により買収されていましたが当時は今後もライセンス事業で行くのか、ラグジュアリー路線で行くか本国も判断を見極めている最中の過渡期。



パリのプレタポルテ部門は当時新進気鋭のジョンがリアーノに続きアレキサンダーマックイーンをディレクターに据え本格的にラグジュアリー路線の準備を始めた頃。



そうしながら徐々にライセンスビジネスを絞りにかかりラグジュアリー路線に転換する過程の最後のライセンスでした。最終僕の携わっていた事業もスタートから5年後にはライセンスを打ち切られ消滅。その後日本ではその様なライセンスビジネスはほぼ姿を見なくなりました。



ここ30年〜40年の現存するラグジュアリーブランドの礎はその様なライセンスビジネスに支えられて来た過程があり、その後のライセンスビジネスの衰退よる契約終了からの本国の経営難。そのチャンスを狙ったLVMHの様なコングロマリットによるブランド買収劇など右往曲節があり現在に至る訳です。もはやメゾン独自の資本によるラグジュアリーブランドと言うのは世の中にほとんど存在しません。



ある意味ヨーロッパのメゾンと日本のアパレルが持ちつ持たれつで蜜月の時期が長くあったのも確か。日本のライセンス収入のお陰でパリコレをやれていたブランドがあったり、逆に日本では大々的に展開されているのに本国では商品さえ作っていない名前だけのブランドもありました。



しかし当時のLVMHやケリングは思い切った戦略に出たものです。成功した今となってはそれが正解だったと言うことなのでしょうが、当時は当たるかどうか分からない中、新進気鋭のデザイナーを使って大々的なコレクションやプロモーション仕掛けて勝負して行った訳です。一度ライセンスでついてしまったチープな印象を覆すのは並大抵なことではありません。



彼らなりに勝算があったから投資して行った訳なのですが僕レベルでの発想ではなかなかそう言った舵切りは決断出来ません。しかし彼らは巨額な投資を行う事でその負のイメージをも跳ね飛ばして行ったのです。まぁ日本のファンドや企業レベルでもなかなかそう言った発想は出て来なかったんですけどね。



もしかしたらあなたのおじいちゃんのクローゼットにバレンシアガのジャケットがあるかもしれませんよ笑



本日はここまで。



それでは。