こんにちは、小松です。



いつもブログをご覧頂きましてありがとうございます。



一昨日の続きpart2です。



この前書いてて思いましたが、なんせもう30年前の話なので記憶が曖昧な部分も多々ございます。何かご指摘があればお願いします。



それでは本題を、、



サラリーマンデザイナー生活の中で業務以外にも色々な出来事がありました。その中でも特に印象に残っている2つの事柄をお話ししたいと思います



本日は1つ目の引っ越しとオープニングレセプション。



私が入社した'88年はまだ創業の地、大阪市都島区に本社がありました。およそこの10年前位から会社は大きく成長していて人も業務もこの建物では収まらない雰囲気でした。



本館はスペースも通路も狭く倉庫も都島周辺に散らばっていたので営業もさぞ効率が悪かったと思います。また企画部があった新館も駐車場の上に建てられたプレハブゆえ暑かったり寒かったり雨漏りしたりと大変でした。



それらの事情や他にも沢山の理由があったからかこの都島から当時大阪のウォーターフロントと呼ばれた南港に引っ越す事が決まっていました。私が入社2年目、平成元年の暮れにはほぼ建物は完成していたと記憶します。そしていよいよ引っ越しの日も近づいてきました。2年弱通い慣れた都島ともサヨナラです。そして年の瀬に大引っ越し大会が始まりました。



大きな荷物や機械の引っ越しは業者がやってくれますが、諸々の肉体労働系は若手男性社員に託されます。企画部の書類や生地などの一つ一つは小さくても大所帯の荷物が集まるととんでもない量でした。その荷物は私達若手が会社のワゴン車使って運搬。もう運べど運べど何度都島と南港を往復したか分かりません。本来の企画の業務など若手社員はそっちのけです。



やっとの事で全ての引越し業務も終了したのが確か仕事納めの日だったと記憶します。終礼で企画部全員が集められそこへ社長が登場しました。「お疲れさん。ご苦労さんやった」と慰労の言葉を頂き、そしてその後なんと、、❗️



全員に現金が入った封筒がその場で手渡されたのです❗️💴💴💴



当時の私にとって寸志どころの金額ではありませんでした。後から聞くと年功序列で金額は違っていたらしいですが確か入社2年目の私でも10万円くらい入っていたかと記憶します。もちろんその月の頭にボーナスはボーナスでちゃんと頂いています。それを100名を超える社員全員にですよ❗️本当太っ腹な社長でした。これもまたバブルっぽいエピソードです🤩



私は社長の教えを守るべく、そのお金で速攻服を買いに行き美味しいもの食べに行って一気にそのお金を使い果たしました❗️😂



年が明けて遂に私たち自身も南港に引っ越す日がやってきました。そして伝説のオープンニングレセプションです。後にも先にもあれを超える派手さと規模のパーティを未だ見た事がありません。





と、言ってもこのパーティーで私たち若手社員の仕事は完全裏方のクローク係です。表で何が行われているのか全く分からない場所。



夕暮れと共に遂に宴が始まりました。次々とお預けの荷物がやってきます。とにかくおびただしい数。途中高田賢三、取扱注意!と書かれた物凄いルイヴィトンのバックが運ばれてきました。おぉっ、高田賢三が来たのか〜❗️次は〜?これはコシノジュンコか〜❗️って感じで。開始から1時間経った頃でしょうかようやく入場ラッシュも収まり一旦落ち着きました。



しかしそうなると上で何をやっているのか気になりだすんですよね、私…



最上階7階の芝生が敷かれた庭園の所で宴は行われています。おそらく1,000人以上の招待客は来ているはず。



実は私、途中でこっそり持ち場を抜け出して宴を見に行きました。当時は普段着でもジャケットを着ていた時代、それさえ着てりゃなんとかなるかと思って7階まで上がったのです。



そして、そこで見た光景は、、、



もう、夢の世界でした。。。✨✨✨



まだ何も遮るものがない南港から見える大阪港〜神戸の夜景。ヘリコプターが舞い、会社の周りに設置された無数のサーチライトも夜空をグルグルと回り光を放ちます。当時は会社のすぐ横が埋め立て前の海。そこに設置されたウォータースクリーンに映像が映し出されています。そしてブルーノートのジャズのライブ演奏。目の前でコックさんが調理するとてつもなく良い匂いのする料理の数々…会社の役職者全員タキシード着て来客をもてなしていて、、



すげぇ、、、うっとりとその光景を眺めていました。🌃



が、その次の瞬間、その素晴らしいパーティ会場の風景を遮り現れたのが私の上司の鬼ような形相…👹



口を閉じ、押し殺すように「お前ぇぇ、、ここで何やってんねん、、🥶💢はよょょ、下降りろぉぉ、、🥶💢」



こんな物凄い人混みなんで僕1人ぐらいいても分かりませんって、、🥳



「ええからおりろぉぉ、、🥶💢」



本気で殴られそうやったんで下りました。。😝



いや〜一瞬でもあの光景を見れたのは突撃した甲斐がありましたね。今とはなっては無理やりでも見に行って良かったです。



そうこうしているうちに宴も終わりの時間が近づいてくるとクロークにはまた大勢の方が押し寄せます。始まりと違い終わりは皆さん一気です。預かった分1000人くらいの荷物を一気に返すとてつもないハードワーク。それもなんとか捌き切りようやくパーティも終了しました。



ものすごい疲労感を今も鮮明に記憶しています。あー腹減った皆んなで飯でも食いに行こうか〜と言いながら帰り支度をしていた時、、



パーティにも参加されていた部長が私達の所へやってきてこう言いました。



「社長が下の若手達に上に上がってきて料理を食べて帰れと仰っていると…」



マジーっ❗️なんと、、優しいんでしょ…😭😭😭



即刻皆んなで上に上がり、サバンナでもう何日も食べていないハイエナの様に貪り食いました。。



普段の社長はもう本当に怖くてビビりまくりでしたが本当こう言う親分肌というかそんな所がある方でした。恐怖9VS優しさ1って感じですが恐怖が多い分その1の優しさに騙され惚れてしまうんですけどね、、、🙄



まさに新社屋のオープンニングイベントはバブル時代を象徴する様な会社のイベントでした。まぁこれだけでは無く他にもド派手な事が多かった会社でしたね。



本日はここまで。次回はもう一つの一大イベントのファミリーセールについて。これまたとても面白い出来事がたくさんありました。それはまた次回に詳しく書きたいと思います。



それでは。